異教徒を成敗!

軍の半分以上が傭兵

英未戦争が終結し、黒死病も沈静化していた1364年。モンゴル軍に奪われたコンスタンティノープルの奪還を目指し、イギリス・フランス・デンマーク・ポーランド・ハンガリーの5カ国による第4次十字軍が結成された。イギリス軍は地中海を経由し直接コンスタンティノープルを攻撃した。この軍は半分が傭兵で構成されており、いかに準備期間が無かったかがうかがえる。だが、カルバリン砲を装備しており、火力では圧倒的にイギリス軍が上回っていた。

モンゴル騎馬兵強い!

カルバリン砲による準備射撃ののち、イギリス軍歩兵部隊は城内に突入した。準備射撃によって敵指揮官が戦死しており、モンゴル軍は早々に敗北するかと思われたが、狭い街路を有効活用するなど兵力の差を感じさせない戦いぶりで互角の戦いを演じる。だが、重装パイク兵の攻撃の前にモンゴル騎馬兵は次々に打ち倒され、ようやく勝利を得た。軍勢の半分を失ったものの、イギリス軍は十字軍としての務めを立派に果たした。

維持めんどいから放棄

モンゴルより奪還したコンスタンティノープルは教皇様に寄進し、イギリス軍は同地より撤収した。この後、教皇軍とモンゴル軍は幾多にも及ぶ死闘を繰り広げていくが、それはまた別のお話。

決別 - ウソだといってよ!

オフッ!

だが、イギリスはこの勝利の余韻に浸る猶予などなかった。1374年、フランスはイギリスへ宣戦布告、三国同盟が突如として崩壊する。英葡戦争・英未戦争で共闘してきた盟友からの絶縁状にステアファン王は断固として臨んだ。その年のうちにフランス東部・ランスを落とし気勢をあげると、メス・シュタウフェン・インスブルックを次々と占領、フランス東部領を制圧した。

なんという野心多き友

この間にイギリスはシチリアと王室間の政略結婚を交わし、軍事同盟を締結。ハンガリーとも同盟を締結し後顧の憂いを無くすと、フランス南部への侵攻を開始した。ステアファン王の軍勢2000がボルドー・トゥールーズを電撃的に占領し、そのままマルセイユの攻略に向かう。ディジョンからドバルコン王子率いるイギリス軍1000が南下し、ジェノヴァからは十字軍帰りの男、ダンカン(ダンカン!コノヤロウ!バカヤロウ!)将軍率いる2000がステアファン王の支援に赴いた。

総力戦・・・でもないか

1392年、ドバルコン王子を総大将とするイギリス軍3000はマルセイユに対し総攻撃を開始。籠城するフランス軍1500は果敢に抵抗するも、数と火力で圧倒するイギリス軍の前に完膚なきまでに叩き潰された。残るフランス軍はイベリアへ遁走していった。イベリアの奴らはもう根絶やしだ。

気持ちいいだろ!オラッ!

ステアファン王は1396年、再び遠征軍を興した。フランス軍はピレネー山脈に陣を張りイギリス軍を待ち構えていたが、戦わずして撤退していく。1400年、ドバルコン王子の軍勢によってパンプロナが陥落、2年後のサラゴサ攻防戦でフランス軍は敗北、滅亡した。

二正面作戦

鎧袖一色、フランスを屠ったステアファン王は念願のイベリア攻略に動き出そうとしていた。ところが、このタイミングにおいてミラノは再びイギリスへ宣戦を布告、ジェノヴァ港を封鎖する。蜜月関係にあったはずのミラノの反抗に不意を突かれたものの、イギリスはシチリアにミラノへの攻撃をけしかけ、ミラノ軍の注意をシチリアに向けさせることに成功。この間にイギリス軍を大きく二手に分け、ドバルコン王子が北イタリアを、ステアファン王がイベリア半島の攻略を担当することとなった。

なんだこの出来レースは・・・たまげたなあ

1410年にはイギリス出身のサルヴィ枢機卿が教皇に選出され、イギリスによるカトリック教会の私物化はエスカレートしていく。通常は、同じカトリック教徒への攻撃は破門へと繋がっていくが、イギリスは教皇庁への定期的かつ莫大な資金援助によって破門を免れるどころか、教皇庁からの一番の信頼を得ていたのだ(世の中、やっぱり金か・・・)。

ブルゴスの戦い

軍を二手に分けたことで戦力の低下は隠しきれなかったものの、ブルゴスの戦いでイギリス軍1000はスペイン・ポルトガル連合軍1300を打ち破るなど終始優勢に戦いを進めていた。1422年、スペインは軍事拠点トレドを占領され、1428年にゴメス王が拠るレオンもステアファン王によって攻略され滅亡した。1442年にはポルトガルもイギリス軍によって滅ぼされた。200年余り続いた英葡戦争はイギリスの圧倒的勝利に終わった。

私物化!

北イタリアにおける戦いでもドバルコン王子がヴェニスを攻略しイタリア南部も制圧した。また教皇に依頼し、ミラノ領ザグレブの攻略を目標とする第5次十字軍の宣下を頂く。私物化万歳!
むろん、イギリス軍はいとも簡単にザグレブを落とし、「異教徒」に勝利したという栄光を手に入れる。この作戦を指揮したロリー将軍は齢21にして指揮6・騎士道8という傑出した名将で、各地で武功を重ねていく。ミラノはイギリス軍によって徹底的に追い詰められ、最後はカリアリにてムーア軍の攻撃を受け滅亡する。

新世界

愚かにも現地民同士で戦っている

キャラック船の発明により遠洋航行が可能になったことで、イギリスはスチュアート将軍に軍勢800を与えて大西洋での開拓を命じた。そして1444年、スチュアート将軍はカリブへ到達。現地の村を襲撃した。火砲の存在を知らない先住民はカルバリン砲の餌食となり、残った者はイギリスが現地で雇った先住民傭兵によって殺された。スチュアート将軍はカリブに西洋式の城を築き、ここを拠点としてミコスキーを制圧し、1458年にはアステカ文明の都市トラスカラを攻略した。

汚い物量だなあ

だが、アステカの物量攻勢の前にスチュアート将軍は防戦一方となった。これに憂慮したイギリス本国から、異教徒を滅すためのホスピタル騎士軍団やハイランダー名門弓兵らが多数派遣され形成は逆転。密林の中を奇襲してくるアステカ軍に悩まされながらも1488年にアステカを滅ぼした。アステカの必死の抵抗に、テノチティトランに到達する頃には、スチュアート将軍の指揮する兵は現地住民の傭兵のみとなっていた。

司教と商人の楽園

アステカの攻略が完了し、現地では改宗のための宣教師と金やタバコ、チョコレートといった産品を貿易に用いようとする商人たちでごった返した。ステアファン王の拡張政策によりイギリスは疲弊しつつあったものの、新大陸での経営が軌道に乗り始めると財政は改善、もはや新大陸の存在なしには王国を維持できないほどの依存ぶりであった。

初めての敗北

俺が正義

イギリスの拡張政策は衰えを見せなかった。1470年、ステアファン王は「レコンキスタ」と称し、ムーアに対し攻撃を開始する。圧倒的な兵力で押すイギリス軍はコルドバを落とし、1488年、イベリア最後の拠点グラナダを占領、レコンキスタは終結した。イギリスはレコンキスタ終結後、ムーアと早々に和平を結び軍の半分をフランスに戻したが、ステアファン王はそのまま同地に残り、ムスリム勢力に睨みを利かしていた。

すごく・・・滑り落ちそうです・・・

レコンキスタが開始された1470年、イギリスは神聖ローマ帝国にも侵攻を開始していた。北イタリア・ボローニャから首都マグデブルグに帰還中だったエラール帝をイギリス軍はアルプス山脈にて殺害。これを皮切りにイギリス軍によるドイツ侵攻が開始されたのだ。このイギリス軍の暴挙には、同盟国のデンマークも不信感を強めざるを得なかった。そして、これがキッカケで、快進撃を続ける連合王国は初めての挫折を経験する。

即停戦とな?

イギリスと同盟関係にあったハンガリーは、帝国侵攻の報を聞き、即座に同盟を破棄しイギリスに宣戦布告した。ハンガリー軍はザグレブを電撃的に落とし、北イタリアに進撃を開始する。イギリス軍はこの遠征軍を押し返すと、名将・ロリー将軍率いる北イタリア方面軍1000がザグレブへ攻撃した。しかし、この戦いでイギリス軍は壊滅的な被害を受け散々に追いやられた。この勝利を良き交渉材料としたいハンガリーは交戦から4年もたたずに停戦と賠償金の支払いを申し出る。帝国攻略を先決したいドバルコン王子はこの要求を渋々受諾した。これはイギリスが経験する初めての戦略的敗北であった。この敗北で慈悲深きドバルコン王子が受けた屈辱が、後に暴虐王と畏れ疎まれる遠因となろうとは、この時だれも思わなかった。

全世界に君臨し、統治する

名高き、マクシミリアン1世との対戦

イギリス軍のドイツ侵攻が本格化すると、デンマークはイギリスからの離反を決意した。1488年のハンブルグ攻囲戦においてデンマーク軍は帝国軍につき、敵対姿勢をあらわにする。だが、東部戦線を担当するドバルコン王子は、軍をみごとに指揮し、フランドル・ドイツ地方におけるデンマークの諸都市を次々と落としていった。
これと並行する形で、ハンガリー侵攻作戦も開始された。ロリー将軍率いるイギリス軍3000がヴェニスより進発。すぐさまザグレブを奪回すると、破竹の勢いでウィーン・ブダペストを占領した。前回の対戦で優勢であったハンガリー軍は、準備万端で臨んだイギリス軍との緒戦での戦闘による消耗から、最後まで立ち直ることができなかった。ドバルコン王子は中立政策を維持していたポーランドにも侵攻を開始、東部戦線の各地でイギリス軍は攻勢に打って出た。

暴虐王登場。黒のカリスマ

そんな中、1510年、悲願を達成していたステアファン王がグラナダにて没する。ステアファン王の後を継いだドバルコン王子は、パトリック王となり、さらなる拡張に動き出す。
このイギリスの帝国主義的行動に、多大な援助を受けていた教皇庁もついに堪忍袋の緒が切れた。教皇庁はイギリスとの同盟を破棄し、イギリスに宣戦布告した。これと同時に教皇庁はイギリス領となっていたリガの解放を目指す第9回十字軍を起し、イギリス以外のすべてのカトリック教国がこれに参加した。だが、どの国家もイギリスの圧迫を受け風前のともしびにあるなかで、十字軍はまったくといっていいほど成果を上げられず、有名無実と化し歴史から姿を消していった。教皇領はイギリス軍に占領され、教皇とその一味はどこかに逃げ去った。

何もねえな・・・

1518年にはデンマーク・ポーランドが滅亡、1524年にはリャザンにまで逃げたハンガリーを滅ぼしたイギリスは、その矛先をヴェネチアに向けた。この時点でのヴェネチアはミラノに追われ、現在のギリシャあたりに追いやられた、「ヴェネチアというよりギリシア」という半端な状態だった。これがプレイヤー的に許せなかったため(?)攻めさせていただきました。1528年にコンスタンティノープルを占領し、ヴェネチアをニケイアに追っ払っい、残りカスのシチリアを滅ぼしたところでゲームは終了した。

何もねえな・・・

ゲーム終了時点での残存勢力は、イギリス(スコットランド)・ヴェネチア・ロシア・トルコ・ムーア・ティムール・モンゴルの7勢力。イギリスが保有している領地は76とダントツ。勝利条件のエルサレムを支配下にはおけなかったものの、もとよりそんなところを取るつもりは毛頭ない。宗教にすがるよりも、偉大なる国王にすがるべきなのだ。世界の中心はエルサレムではない。ロンドンなのだ。そのくせに首都をパリに置いてるがな!

ということでスコットランドAARはここで終わりです。なんかスコットランドからイギリスになってますが、こういう系のゲームは妄想を楽しむことで更に面白さが倍増するものだと思います。ただ、そうしたとしてもカール5世のように気分が沈んできます。相次ぐ戦乱・諸問題の解決に奔走して疲れた、というのが初完走しての感想かな・・・。


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Last-modified: 2008-01-14 (月) 17:58:36 (4297d)