イベリア勢力との対決

英仏丁三国同盟の締結により、イギリスには再び平和の時が訪れた。積極的な外交により、神聖ローマ帝国、ミラノ、ポーランドといった大国とも友好を深めつつ、更なる殖産興業政策を推し進めていた。13世紀に入り、イギリスの生産力は世界の一、二を争うまでに成長し、プレイヤー的にも「ここら辺でゲームやめとこうか」と思ってしまうほど、のどかな時間が続いていた。

しかし、その平和はあっけなく崩壊する。

1218年、イギリス軍は反乱軍によって占拠されたパリを包囲した。イル=ド=フランス地域圏のアングロ・サクソン系住民の安全を保障するためである(なんという理由)。ま、反乱を抑えられなかったフランスが悪いね!
ところが、パリを包囲中のエドワード王率いるイギリス軍630に、ポルトガル軍600が攻撃を仕掛けてきたのだ。

なんという騎馬主体の軍勢

両軍はパリ郊外で激突。だが、勇猛果敢なる一族たちの奮戦によりポルトガル軍は全滅した。エドワード王はパリをその年の内に攻略すると、すぐさま取っ手を返しカンに帰還、ポルトガル軍に備えた。だが、この事による心労がたたったのか、1232年、ポルトガルに復讐を果たせずしてエドワード王は没する。

レンドリース!

ポルトガルはフランス中部および、ブルターニュ半島レンヌを支配下に収める大国であった。イギリス単独で勝てない相手ではないものの、新たに即位したアレグザンダー王は5000フロリンの援助と引き換えに、フランスの対ポルトガル戦参戦を引きだした。

イギリス騎馬軍団は世界一ィィィ

共闘態勢が確立され、英仏連合軍は一挙に反攻を開始した。エドワード王が崩御した1232年、アレグザンダー王はパリ郊外にてポルトガル国王アッフォンソ王の軍勢と決戦を挑み、これに快勝。仇敵アッフォンソ王は一族たちによって討ち取られた。

逃げ場などない

翌々年の1234年にはレンヌを死守していたバルテサル王子を同じく討ち取り、フランス北部における優勢を絶対的なものとした。ポルトガル方についていた諸都市はいずれもイギリス軍に破壊され、捕虜は残らず処刑とされた。この残酷な仕打ちに、教皇はイギリスを破門とするも、三国同盟の絆はそんなものでは揺らぐはずもなかった。

大して可愛くないな!

英葡戦争が30年目に突入した1248年、スペイン国王サンチョ王率いる軍勢が突如海路からコタンタン半島に上陸、カンを包囲する。カンに駐留していたアレグザンダー王はこれを散々に打ち破り、サンチョ王は戦死した。これに恐れをなしたスペインは停戦を申し入れ、賠償金3000フロリンの支払いとともに講和条約を締結する。
だがスペインは1282年に再びイギリスに宣戦布告する。アレグザンダー王はこれに大変な怒りを示し、今後一切イベリア勢力との交渉を持たないと宣言した。

ヘタレめ

この日の出の勢いのイギリスに、教皇は対決よりも懐柔へと姿勢を転換した。1298年、約60年ぶりにイギリスは破門を解かれた。イギリスの正義がカトリックの正義となった瞬間であった。

だが、ポルトガルのフランスにおける一大拠点ディジョンに向け進軍中であったアレグザンダー王は1288年、陣中にて崩御した。生涯の殆どをイベリア勢力との戦いに費やした彼の遺志はドムナール王によって受け継がれていく。

雌雄を決する戦争 - 1218~1346

侵掠すること火の如く

巨大都市ディジョンはポルトガル軍の主力860が籠っており、難攻不落を極めていた。だが、大砲という新兵器の登場により戦況は一変した。イギリスの国力に物をいわせカルバリン砲を揃えたイギリス軍は1306年、ディジョンの攻略に成功、ポルトガルをフランスより駆逐した。ディジョンはイギリス軍により徹底的に破壊され、2000人以上の住民が処断された。

厚顔無恥!

当面の敵を排除し、ドムナール王はポルトガル遠征に向け軍事拠点カン、アルジェで軍の再編成を行っていた。そんな中、ミラノより使者がドムナール王のもとに届く。その内容とは、200フロリンを支払わなければ攻撃するという恫喝であった。あまりにも厚かましい要求であったが、イベリア侵攻が当面の課題であったドムナール王はこの要求をしぶしぶ認め、ミラノに200フロリンを支払った。ところが、ミラノはこちらが提案を受けたにもかかわらずディジョンを包囲したのだ。

なんという重装備

イギリス軍の主力はフランス北部にあり、ディジョンに駐屯していたのは、市民槍兵3部隊、パイク民兵2部隊のみであった。対するミラノ軍はジェノバクロスボウ民兵を主力とした重装備の軍構成。ミラノは北イタリアとアドリア海沿岸を治める大国。国力ではイギリスに負けず劣らずの勢力であった。敗北は、必至と思われた。

1320年、ミラノ軍はディジョンに対し攻撃を開始した。だが、この戦いにエジンバラ公ダンカン将軍と共に、フランス軍840が援軍として駆けつけてくれたのだ。しかし、この加勢を得ても兵力バランスは互角であった。

プレイしてて恐怖を覚えた

ミラノ軍は正面の城壁をカタパルトで破壊すると共に破城槌で城門を突破しようと試みた。それに対しイギリス軍は持てる兵力を城門周辺に固め、ミラノ軍の突破を防ぐ構えでいた。飛び道具のないイギリス軍にとっては、唯一敵の飛び道具を無効化できる城門で戦うほかに術がなかったのである。

殺到するミラノ軍。ビビる俺

門扉を破壊したミラノ軍兵士は城門後方で待ち構えるイギリス軍と激突した。イギリスが誇るパイク民兵による壁をなんとか押し切ろうとミラノ軍は突撃を繰り返し、イギリス軍の被害は増大していく。だが、「軍事の天才でなければ勝てない」と言われていた防衛部隊は何とかミラノ軍の攻勢をしのぎ切っていた。

なんとか逆転!だがまだまだ分からない雰囲気が・・・

城門付近での戦闘が激化するなか、フランス軍の一隊が城門を攻撃しているミラノ軍の側面を突くことに成功する。だが、農民主体のフランス軍は突破力に欠け、ミラノ軍の下馬ランツェ・スペッツァーテ(こいつ強すぎ)に押しとどめられてしまう。城門付近の攻防も、ランツェ・スペッツァーテの投入によりイギリス軍は敗走。英仏連合軍は広場に退却する。

兵どもが夢の跡。勇敢なるフランス軍兵士に敬礼!

城内になだれ込んだミラノ軍は三方向に分かれて広場の攻略を目指す。しかし、これが逆に兵力の分散、ひいては戦力の低下を招いてしまった。疲弊しきったミラノ軍は各個撃破され、その戦力の90%以上を失いミラノへ撤退した。だが、英仏連合軍もその3分の2が戦死するという大損害を出してしまう。しかし、この戦闘において英仏両国の関係は一段と強まったことは、ドムナール王にとって不幸中の幸いであった。

貴様ら!二度と祖国の土は踏ませぬぞ!

このミラノ軍の恥じずべき宣戦布告に同調したかのごとく、イベリア勢力も英仏軍への攻勢を強める。ドムナール王直々に指揮するミラノ遠征により手薄になったレンヌへ、スペイン軍が攻撃を開始。ありとあらゆる攻城兵器を持ってイギリス軍に襲いかかる。

ざまあwwwww

だが、城門周辺における戦闘で敵指揮官ドミンゴ王子が討ち死に、急遽アンジェより駆け付けたホスピタル騎士軍団が背後を突き、スペイン軍は瓦解した。

バリスタ兵カワイソスwwwww

1338年、イギリス軍はジョノヴァを落とし、全軍を敵首都ミラノへ差し向けた。ミラノ軍も同地に軍を集結させ迎え撃つも、ヴァレモソの戦いでミラノ軍主力は壊滅。ベカ公爵が守るミラノはイギリス軍2100の猛攻により陥落した。

嫌な事件だったね・・・

ミラノ陥落後も北イタリアではイギリス・ミラノ両軍は戦闘を繰り広げるも、イギリス軍はヴェニスの堅い守りに、ミラノ軍はイギリスの物量に抗しきれないなど、互いに決定打を見いだせずにいた。更に黒死病がヨーロッパ全土で猛威を振るい始め、もはや戦争どころではなくなっていた。

山吹色のもなかにございます。どうぞお納めください!

1346年、ミラノ領ベルンをイギリスに割譲することで両国は講和条約を結んだ。さらにドムナール王はミラノに対し資金援助を行い、関係の修復に努めた。ドムナール王の本当の敵は、ミラノではなく父の悲願であったポルトガル・スペインであったのだ。だが、そのドムナール王もイベリアに足を踏み入れることなく没する。親子2代によって果たせなかった夢はステアファン残虐王によって受け継がれていく。


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Last-modified: 2008-01-02 (水) 17:03:14 (4305d)