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中世(11世紀~16世紀)の人物や、m2twで登場するユニークユニットについて。

とりあえず分類が分からなければ「用語辞典(総合)」に記載。


目次


ウィリアム征服王(イングランド 初期年齢:50)

(主要な特徴・従者)知的な女/征服する英雄/信心深い男/残酷で狡猾な男/残酷な指導者

イングランドの初期の勢力の指導者。

1066年にはノルマンコンクエストによりイングランド王となっている。

歴史上のバトル「ヘイスティングスの戦い」では彼を操作する事になる。

別名ノルマンディー公ギョーム2世

ルーファス王子(イングランド、初期年齢:26)

(主要な特徴・従者)指揮の才能のある男/頼もしい指揮官
ウィリアム2世。史実ではノルマン朝イングランドの二代目国王。

征服王ウィリアムの長男、後にその赤い顔から(髭が赤かったからとも)赫顔王とも呼ばれた。

スコットランドを従属させたり、武勇伝は多いが内政では放蕩の限りを尽くし評価は芳しくない。

生涯独身で、子は為さなかった。

初期の能力は並みで平凡。スコットランド戦役で鍛え上げよう。

フィリップ1世(フランス 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)知的な女/厳しい男/信心のある男/公平な戦士/騎士道をもって統治する男

フランスの初期の勢力の指導者。

フランス・カペー朝第四代目、名前は「馬好き」と言う意味らしい。

先代フランス王アンリ一世の子であり、母はルーシ人のアンヌ・ド・キエフ。

史実では破門されたり、そのせいで第一回十字軍からハブられたりと碌な目に遭わなかったらしい。

ルイ6世(フランス 初期年齢:21)

(主要な特徴・従者)熱中漢/勝てばよい男/無慈悲な指導者/知的な女

フィリップ一世と、ベルト・ド・オランドの子。

肥満王または戦争王の二つ名を持つ。

中世の諸王国との戦いを繰り広げた君主の一人、ウィリアム一世やハインリヒ5世と戦った。

父親が1092年から破門されていた為早くから政務代行を務める。

幼少時からの聖職者の親友シュジェールと共に国内の安定に尽力する。

コンスタンス(フランス 初期年齢:19)

(主要な特徴・従者)天性の交渉人/外交能力のある女/振り向かせる女

フィリップ一世の長女、他国の初期の姫と比較して魅力が2高い [heart] 5を初期から持つ。

アンティオキア公国初代指導者のボエモン一世と婚約した。

12世紀初頭の婚約であったが、その後すぐボエモン公が亡くなった為未亡人になってしまっている。

ハインリヒ帝(神聖ローマ 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)名誉ある男

神聖ローマの初代指導者、ハインリヒ四世。

教皇と盛大に喧嘩した君主。幼少時代には対立貴族勢力から誘拐されたりと、多難な人生を送る。

実際にゲーム中では教皇グレゴリウス七世と中が悪い(教皇庁との関係が最初から悪い)。

しかも北はデーン人、西はフランス、南はイタリア、そして東はポーランド

更に周辺の諸侯は反乱気味と四面楚歌状態であった。

わがままで頑固な性格だとか。

シュヴァーベンに赴き諸侯反乱を鎮圧する為のザクセン戦争を行った。

また、教皇に破門された為、王位継承権を失いそうになり雪の中三日三晩立ち尽くして赦しを乞うた「カノッサの屈辱」でも有名。

対外戦争よりも国内諸侯の反乱にその力を割く事になった彼は、55歳で死去。

アルフォンソ王(スペイン 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)熱中漢/頭の良い男/吟遊詩人

スペインの初期勢力指導者。

アルフォンソ六世、カスティーリャ王またはレオン王。

1077年にヒスパニア皇帝を名乗った伝説的な人物。勇敢王(アルフォンソ・エル・ヴァリアンテ)とも。

この頃まだカスティーリャ王国とレオン王国は分裂しているが、彼の功績により統一されカスティーリャ=レオン王国となる。

ポルトガルの独立が頭痛の種になるのだが…

エル・シッドとはレコンキスタを共に戦った間柄として少なからず因縁がある。

このころ吟遊詩人が盛んに歌った叙事詩にも、エル・シッドや彼は頻繁に登場する。

元首ドメニコ(ヴェネチア 初期年齢:47)

(主要な特徴・従者)完璧な政治家/腕利きの官僚/厳しい男/薬剤師

ヴェネチア共和国の初期の指導者。

ドメニコ・セルヴォと言う名であり第31代ドゥージェ。

バルトロメオ参事官(ヴェネチア 初期年齢:31)

(主要な特徴・従者)政治家の卵/一流の行政官/エネルギッシュな男

詳細不明…

ロジャー王(シチリア 初期年齢:49)

(主要な特徴・従者)頼もしい攻撃指揮官/政治家の卵

シチリア王国の初代の指導者。

ルッジェーロ1世とも。ロバート・ギスカールの弟にあたる。

南下してきたノルマン人で、シチリア王国をうち立てたギスカール兄弟の片割れ。

アフリカ大陸から来るムーア人には、融和的政策を敷いた。

サイモン王子(シチリア 初期年齢:22)

(主要な特徴・従者)政治家の卵/扇動者/政治家の卵/主計官

おそらくシモーネ・ダルダヴィッラ。初代ロジャー王の実子。

史実では12歳で早世しているが…中身はその弟ルッジェーロ二世か。

因みにルッジェーロ二世は、59歳まで生きた中々の長寿。

シチリア王国の安定化に尽力し、第二回十字軍にも参加している。

ジョルジオ公爵(ミラノ 初期年齢:54)

(主要な特徴・従者)政治家の卵/腕利きの官僚/厳しい男/歩兵隊の指揮が上手い男/薬剤師

ミラノ公国の初期の勢力指導者、詳細不明…

ベルナルド伯爵(ミラノ 初期年齢:36)

(主要な特徴・従者)公約する男/大胆な攻撃指揮官/夜戦に長けた男/訓練教官

詳細不明…

マルコム王(スコットランド 初期年齢:50)

(主要な特徴・従者)信心深い男/腕利きの官僚/戦場では高潔な男/高潔に統治する男

スコットランド王国の初期指導者。

ダンケルド家の4代目の君主、マルカム三世。

イングランドとの戦いに明け暮れるが、53歳で戦死。

スコットランド王国の封建制(Feudalism)化を推し進めた。

ちなみにシェークスピアの『マクベス』でマクベスを討ち

父王の敵を果たしたカンバーランド王太子マルカム・カンモアはこの人のこと。

マクベスも以前はスコットランドの君主であった。

エドワード王子(スコットランド 初期年齢:24)

(主要な特徴・従者)美を崇拝する男/腕利きの官僚/天才/欲深い男/残酷で狡猾な男/残酷な指導者/伝記作家

マルカム三世の実子として記録はあるが詳細不明。

マルカムの後妻のマーガレットの間にできた長子で、マルカムの死の翌年(1094)に亡くなっている。

アレクシウス帝(ビザンティン 初期年齢:45)

(主要な特徴・従者)頼もしい防衛指揮官/知的な女/夜戦に長けた男/タティキオス

ビザンティン帝国コムネノス朝の開祖、アレクシオス1世コムネノス。

24歳の若さで将軍となり1081年に反乱を起こし、

当時の皇帝ニケフォロス3世を退位させ帝位簒奪。

南イタリアのノルマン人とたびたび争い、ヴェネツィアと同盟を結ぶことで一時撃退に成功した。

しかしこのときヴェネツィアに様々な商業特権を与えたことが後に帝国経済の衰退とヴェネツィアとの対立の遠因となる。

治世15年目に小アジアのルーム・セルジューク朝との戦闘で教皇に救援を要請、

これを機に十字軍が開始されるが、当の本人にしてみれば予想外の(そして歓迎できない)反応であった。

なお彼の娘アンナ・コムネナ(ゲーム中にも王女ユニットとして登場)は中世には珍しく女性でありながら相当の教養人であり(父帝の目を盗んで文法の勉強に明け暮れたほど)、

父帝アレクシオスの治世を称える回顧録『アレクシアド』の著者として有名。

この著書は当時のビザンティンのみならず西欧からの十字軍の様相をも伝える貴重な史料でもある。

フセヴォロド大公(ロシア 初期年齢:50)

(主要な特徴・従者)エネルギッシュな男/頭の良い男/社交的な飲酒家/残忍な男

ロシアの初期勢力指導者、こちらも詳細不明。

ビザンティン帝国の皇女マリアを娶っている、これが後の二国の関係を位置づける。

m2twではスペインやロシア、ミラノなど実際はもっと多数の国家に分裂している筈なのに統一されている事がしばしば。

ロシアもそうであろうが、おそらくここで言われるロシアはノヴゴロド大公国を指すと思われる。

ゲームだから仕方ないのだが…

その辺りのリアリティを追求したい方は、StainlessSteel?などのMOD導入を推奨。

ウラジミル王子(ロシア 初期年齢:28)

(主要な特徴・従者)熱中漢/頭の良い男/社交的な飲酒家

詳細不明。

タハル帝(ムーア 初期年齢:60)

(主要な特徴・従者)熱中漢/健康の権化

既に天命が尽きそうなムーアの勢力指導者。

詳細は不明だが、恐らくムラービト朝ムーアの指導者。

ミスワール皇太子(ムーア 初期年齢:35)

(主要な特徴・従者)熱中漢/頭の良い男

直ぐに王位を手にする運命のムーアの勢力後継者。

やはり詳細不明。

ジャラル帝(トルコ 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)信心のある男/知的な女/薬剤師

トルコの初代勢力指導者、セルジューク朝のカリフのマリク・シャー一世と思われる。

宰相ニザームの補佐によりセルジューク朝の版図を拡大したが、ニザームが暗殺に倒れると彼も後を追うように病死した。

ムスタファ皇太子(トルコ 初期年齢:20)

(主要な特徴・従者)信心深い男/頭の良い男/騎兵の扱いがうまい男/毒見役

おそらくはバルキヤールク、マリク・シャー一世の息子。

実は彼と先王の間には幼少のスルタンがいたのだが早世している。

史実では内紛に明け暮れ、全くいい所がなかった。

相当の領土を失地した挙句、気苦労か病か暗殺かはたまた自殺か、25と言う若さでこの世を去る。

アル ザーヒル帝(エジプト 初期年齢:60)

(主要な特徴・従者)数学が得意な男/信心のある男/司書

エジプトの初期勢力指導者で、ファーティマ朝カリフ。

一桁ターン内に退場する予定の影の薄い指導者。

史実では1021年~1036年の間の統治者であったようだが…

先王を父に持ち、妻は黒人奴隷であったとか。

勿論奴隷にも色々な階級がある。

アル ムスタンシール皇太子(エジプト 初期年齢:45)

(主要な特徴・従者)戦略にさとい男/敬虔な信者

史実ではアル・ザーヒル帝の実子で世襲のカリフ。

58年(1036~1094年)もの長期にわたって統治を行っている。

クヌーズ王(デンマーク 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)危険な攻撃指揮官/信心のある男/新人官僚/盾持ち

初期のデンマーク指導者、エストリゼン朝のクヌーズ二世(1080~1086即位)。

詳細不明。

シャルル王子(デンマーク 初期年齢:19)

(主要な特徴・従者)信心のある男/数字の才能のある男/頭の良い男/太っ腹な男

詳細不明。

ヘンリケ王(ポルトガル 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)信心深い男/頭の良い男/血を好む男

ポルトガル王国の初代勢力指導者。

フランス出身のポルトゥカーレの伯爵、エンリケ・デ・ボルゴーニャ(葡)、アンリ・ド・ブルゴーニュ(仏)。

要はブルゴーニュ出身の貴族であり、レコンキスタ参戦にてポルトガルの領土を獲得。

そこでポルトガル王国の基礎を築いた。

だが王国が成立したのは彼の後の時代、初代ポルトガル王は彼の息子アフォンソである。

まだこの時代のポルトガルは、レコンキスタの活躍によりヘンリケが獲得した封土の一つとしてでしかなかった。

アッフォンソ王子(ポルトガル 初期年齢:19)

(主要な特徴・従者)信心のある男/知的な女

ヘンリケ王の実子アッフォンソ一世、その母はカスティーリャ王国王女のテレサであった。

兄妹は全部で6人居たが、彼以外は早世している。

彼の実権を認めない母テレサと対立、母とその愛人ガリシア伯を追放し、カスティーリャ王国と戦端を開いた。

この戦いにより、カスティーリャ=レオン王国に従属していたこの領土は、ポルトガル王国として独立する事になる。

その後ろ盾になったのは同盟国アラゴンの力もある。

ちなみに彼がリスボンを獲得したのだが、それは1179年の事。

ヴワディスワフ王(ポーランド 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)敬虔な信者/頭の良い男/名誉ある男/騎士道をもって統治する男

ピャスト家ヴワディスワフ1世ヘルマン、ポーランドの初期勢力指導者。

兄王が亡命したため、神聖ローマハインリヒ4世の後ろ盾を得て王位に付いた。

神聖ローマのこの後押しは、彼らの東方進出の目論見があったからなのだが…

彼らの期待をよそに、ポーランドは独立した国家を形作るようになる。

スビグニエフ王子(ポーランド 初期年齢:20)

(主要な特徴・従者)頭の良い男/血を好む男/強力な遺産(権威-2)/社交的な飲酒家

史実ではポーランド大公であり、王になった記録はない。

彼の異母弟ボレスワフ三世に権力闘争で敗れ、罠に掛かって死亡したとある。

42歳であった。

ラースロー王(ハンガリー 初期年齢:40)

(主要な特徴・従者)熱中漢/信心深い男/尊敬すべき統治者/薬剤師

ハンガリーの初期勢力指導者、聖王とも称され、カトリック教会の聖人である。

カノッサの屈辱(1077)の年に即位し、教皇を支持することで一定の評価を受けた。

その後は上手く神聖ローマの脅威をいなす政策を取り、着々とその領土を拡大した。

だが、その伸張が後世の戦いを生む事になる。

リチャード獅子心王(リチャード一世)

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1157-1199、イングランド・プランタジネット王朝2代目。

父はプランタジネット王朝初代国王のヘンリー二世。

中世の騎士の模範とされる勇猛な性格で、強敵には敬意を払いムスリム達からは恐れられた。

兵法一般にも広く精通し、サラディンを打ち破った「アルスフの戦い」は有名。

しかし父には愛されず、晩年まで対立が続いている。

生涯の好敵手となるフィリップ二世や、オーストリア公レオポルド二世とは、同じカトリック教国の指導者同士ではあるが、すれ違いを起こす。

この様な背景もあり、戦に身を置く事が多く、あまり国内の施策では事を成し遂げられてはいない。

十字軍でエルサレムを奪還することが叶わず、休戦条約を結ぶ。

その後はイングランドに帰国しフィリップ二世の率いるフランス軍などと戦いを続ける。

カンの近く、ノルマンディー地方に有名なガイヤール城を帰国後に建設(1196年竣工)

十字軍帰国後、7年の後に亡くなった。フランスとの戦いの最中に受けたクロスボウの矢傷悪化による死であったという。

42歳、戦に明け暮れた男であった。

イスラムの英雄サラディンからキリスト一の戦士との評価を受ける。

これ以外にも彼の逸話は多いが省略。

m2twのイングランドの旗(3頭のライオン)を定めたのは彼であり、それまでは一頭だった。

これはイングランド王室紋章として後に長く使われることになる。

母親のアリエノール・ダキテーヌは彼の強い味方で、彼を捕囚しようという企てを察知して

彼に伝えたり、逃れられず捕囚となった時には母自らが奔走して身代金を集めたりしている。

彼女は80まで生きると言う大変な長寿であり、また文学的にも優れ、行動力もある女性であった。

ちなみにブリタニアキャンペーンに出てくるヘンリー王は、リチャード獅子心王の弟であるジョン王の孫にあたる。

リチャードには庶子しかおらず、彼の血統は受け継がれることはなかった。

同性愛者であったとの説も。

フィリップ尊厳王(フィリップ二世)

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1165-1223、カペー王朝の七代目、尊厳王(オーギュスト)と呼ばれる。

ノルマンコンクエストを達成し増長するイングランドに対し、フランスは混迷の最中であった。

そんな中で産まれた彼であるが、諸々の事情もあって15歳で即位。最初は摂政を置いていたがやがて自分で政を取り仕切る様になる。

20代の終わりに第三回十字軍に参加。

しかし彼はリチャード獅子心王ほど聖地奪還に熱心ではなかった。

早々に帰国するとフランスから独立しつつあるイングランドの領地を取り戻すことに心を砕いた。

当時イングランドにはリチャード以外は凡臣ばかりであった為、フランスは瞬く間にその領土を取り戻した。

リチャードが十字軍に行っている4年の間に彼はフランス王国の栄光を取り戻すが、リチャード帰国後は激しい両雄の戦いが方々で繰り広げられた。

実力はリチャードの方が上だったようで、じわじわと領土を奪い返されていくが、5年に及ぶ戦いののち、リチャードは矢を受けた傷が元で死亡。

リチャード獅子心王41歳、フィリップ尊厳王34歳の出来事であった。

有力なライバルを亡くした彼はその後勢い付き、同時期に起きたトゥールーズ付近のカタリ派に対するアルビジョア十字軍も利用し、アキテーヌ一帯の支配権を握った。

晩年には対フランス連合軍との戦い(ブーヴィーヌの戦い)に勝利し、周囲の勢力を著しく弱体化させることに成功。

1223年、58歳で没する。フランスはこの後100年に渡りその栄光を維持し続けた、その礎となった彼を称えて尊厳王(オーギュスト)の二つ名が広まった。

エルナン・コルテス

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1485-1547、カスティーリャ王国(スペイン)出身。

大学に通える程度の身分の一般人で、幼少のころは法律家を目指していたとか。

が、10代の頃に触れた世界の様々な異聞が彼の新世界を目指す動機になる。

19の時船乗りとなり、先駆者のコンキスタドールのやり方を盗み見て、搾取のノウハウを身につける。

法律にも明るかった彼は、21の時カリブ(キューバ)に到達、一財産(土地・奴隷)を手にする。

26の時にコンキスタドールのディエゴの秘書になり、更に地位を高める策略を練る。

34歳で彼から半ば離反の形で独立し、有志と共にメソアメリカに上陸。そこで生涯の伴侶(?)土着民の聡明な少女(この時彼女は10代中〜後半)マリンチェと出逢う。

最初の拠点ベラクルスを造り、彼の進軍は始まった。トラスカラ・テスココと土着の部族王国の軍に勝利しこれを従える(同盟という形であるが)。

そして彼はアステカ王国についに足を踏み入れる。

重税により栄えていたアステカ帝国首都のテノチティトランはまさに壮麗の一言であった。

アステカの王モクテスマ二世は彼をケツァルコアトルの化身として快く迎えた。コルテスはつぶさに

テノチティトランを見て回るが、不満が渦巻くとは言えその強大なアステカを容易く征服できないと確信する。

一旦引き返した彼を待っていたのは、かつての上司ディエゴから差し向けられた追討軍であったが、彼はこれを撃退。一部を籠絡し戦力に加えた。

その頃テノチティトランでは彼の部下ペドロらが行動に移っていた。

意図したものでは無いが、彼の部下ペドロらはテノチティトランでアステカ住民を手にかけていた。

その混乱をついて部族民を率いたコルテスはテノチティトランに入ったが、住民の混乱は凄まじく、コルテスは彼らと激突する判断を下さなかった。

その最中、モクテスマ二世は暴動に巻き込まれ死ぬ。

テノチティトランから退却する彼だが、同胞のスペイン人約1000人が命を落とす

コルテス側についていた原住民はその数倍は死んだであろう。また当時30万を超えていたと言われるテノチティトラン住民も大半が無傷では済まなかった。

多くの同胞の死を悼んでスペイン人はこの出来事を「悲しみの夜」と呼んだ。

その後、軍を編成し直した彼は再度テノチティトランに攻め入る。

疲弊したアステカの民は防ぎきれず、テノチティトランはコルテスの支配下に置かれた。

モクテスマ二世の後を継いだクアウテモックは捕えられ、4年の捕囚の後反乱を企てたとして斬首される。

こうして1525年、テノチティトランの悲しみの夜の5年後、アステカ帝国は王族の血脈が途絶え滅亡した。

その後彼は各地を転戦し、名誉をほしいままにした。

彼の遺言により遺体はメキシコシティー(テノチティトランの新名称)に埋葬される。

サラディン

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1137-1193、クルド族でアイユーブ朝エジプトの始祖。

十字軍におけるイスラム側の英雄。

彼が指揮官を務める軍では、戦闘中に特殊能力が使用できる。

この能力についての詳細は用語辞典(十字軍)で。

サラーフッディーン、サラーフ・アッディーンとも読まれる。

その一族は元はセルジューク朝のトルコに仕えていたが、ザンギー朝のエジプトに迎え入れられ、そこで領地を与えられる。

この頃、サラディンは成人し、その若い時代をダマスカスを拠点として周辺地域の掌握に費やす事となる。

この頃にはまだ、アレッポ領主のヌールッディーンに仕える臣下の身。

彼が英雄として飛躍するのはもう少し後になるが、この頃から優れた知勇を見せ始めており

彼の仕える君主からの評価は概ね高く、順調に出世コースに乗っていた。

彼が27歳の頃から、対十字軍戦役であるエジプト遠征が始まりそれに参加するが、様々な紆余曲折を経てそこで権力を蓄えて行く。

最後となる第三回エジプト遠征にて、君主のヌールッディーンが死去。

これによりエジプトの全権を握る事になる。

その後、(第三回)十字軍遠征にて獅子心王リチャードと戦い、アクレなどの領地を失うがよく抵抗し、その往時には十字軍国家と停戦を結ぶ事に成功。

その後数年、55歳の頃に病没する。

息を引き取ったのも同じ、ダマスカスの地であった。

その人となりとしては、正に騎士道の鏡であり、捕虜には寛大な態度を取るのが常であった。

これが仇となる場合もあったが…

また、非道を働く相手には容赦せず、貧者には施しを行い、周囲からの評判も上々であった。

彼の葬儀は、その施しによる散財の為とても質素であったらしい。

ヌレディン

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1118-1174。由緒ある家系で、セルジューク朝トルコ(のザンギー朝)の支配者であり、

ヌール・アッディーン、ヌールッディーン・マフムードなどの呼び名がある。

かの有名なサラディンは彼の旧臣。

若い頃は周辺の諸王朝と領土争いを繰り広げていた。

そのうち十字軍が来襲し、その対処に追われる半生を送る。

容姿は優れており、文武両道に長けていたとか。

晩年は熱病にかかり没する。

彼の名は「信仰の光」と言う意味を持つらしい。

サラディンの影に隠れがちであるが、中世イスラムの発展に貢献した名君であった。

バイバルス

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マムルーク朝の始祖。

1223〜1228年頃の生誕と言われる。

20歳の頃に、モンゴルに捕虜となり奴隷に身を落とす。

アイユーブ朝エジプトの貴族に身柄を買われ、マムルークとして戦闘に従事するうち出世を重ね、マムルーク朝の王として、1260年に君臨する。

アンティオキア公国を滅亡させ、種々の施策を行い、マムルーク朝200年の礎を作った。

55歳の頃、病没。

金髪隻眼で長身、武勇に長けるが敵には容赦無く、サラディンほどキリスト教国からの評判は得られなかった。

ウィリアム・ウォレス

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スコットランドの英雄、13世紀末の生まれでその出事ははっきりしない。

伝聞によると下級貴族であるらしいが、似たような名前の人物が盗賊行為を働いていたりした記録もある。

だが、高貴な身分でなかったのは確かなようで、民衆の支持は多いに得られたようだが支配階級からの受けは良くなかった。

愛国者の性格は後付けで、本人はただ単に支配への抵抗を行いたかっただけと考えられる。

ブレイブハートの演出などは史実とやや反する(と、私は思う)。

スターリング・ブリッジの戦い等で勝利を収めるも、フォルカークでの敗戦により、彼を祭り上げたロバート・ブルース王も次第に支援を行わなくなる。

最期は敵に捕まり四つ裂きの刑を受けてその生涯を閉じたと記録されている。

(四つ裂き…イングランドの大変残酷な死刑方法、生きたまま性器を切除したり、内臓を取り出すなどを公衆の前で行う。)

イングランドの支配に抵抗したハイランダーの一人であったにもかかわらず、支配階級のいい様に振り回され運命を台無しにされた悲劇の英雄である。


m2tw本編ではユニーク従者「ウィリアム・ウォレス卿」として登場。

「見た目は荒くれ者のようでも、この愛国心溢れるスコットランドの勇者は大半の王よりも戦術・学術両面に深い造詣を示しています。」

スコットランド使用時限定で、106~118ターン(1292~1316年)にイングランドとの不利な戦い(オッズ1.0以下)に勝利すると付く。

騎士道・指揮・更に上がりにくい権威にぞれぞれ+1。兵の士気+3、更にイングランドと戦う時に指揮+3。

若い王や王子に狙って付けさせよう。


画像からもわかる通り、キングダムのブリタニアキャンペーンではスコットランドの英雄として登場。

顔グラ・3Dモデル共に完全オリジナルで優遇されている。

22ターン目にハイランド地方に出現、配下がハイランダー名門兵の重歩兵タイプの将軍。

個人のHPは2であるが、騎兵で無い為いわゆる「食らい抜け」が出来ず交戦時には

離脱しようとしても離脱がかなり困難。

長生きさせたければなるべく戦闘はさせないようにしよう…

ちなみに、姫を使って彼をイングランドなどの他勢力に引き入れる事も可能だが

その場合は一般的なHP2重騎兵団に変化。

そしてウォレスはなぜか霊体の様な3Dモデル表示になってしまう…一見の価値あり。

イエス・キリスト

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Jesus Christ。Son of God、Lord's Anointedとも。キリスト教の神(の子)であり創始者。

B.C.4年~A.D.30年。ちなみに西暦は彼の生誕の翌年を西暦1年としている(明らかにズレているのは諸々の事情あり)。

人間でありながら神性を持つ(神が彼の体に降臨し、同一化)とされる。

旧約聖書ではその生誕を預言される、「メシア(救世主)」との表記。

新約聖書では彼の生誕から成長、洗礼、伝導、迫害、処刑、復活、昇天について述べられる。

B.C.4年、12月25日、ガザ近くのベツレヘムの馬小屋でマリアの子として生まれる。

幼少時代には旧約聖書に触れ、類稀なる神学の知識を獲得している。

A.D.28年、洗礼者ヨハネから洗礼を受ける。

その後、布教活動を開始、弟子を集める。また癒しなどの様々な奇跡を起こす。

しかし、当時主流であったユダヤ教を批判し、みずから神(ユダヤ人の王とも)を称した事によりローマ帝国により処刑される。

裁判~処刑の流れは1日で終わる。その前日に「最後の晩餐」が行われる。

A.D.30年、キリストはゴルゴダの丘で十字架磔の刑にて処刑される(受難)。

三日後、彼の墓(聖墳墓)の中がもぬけの空になっている事が発見される。

その後40日間、彼は弟子や信者の前に現れ、その後の指針をさずけ、姿を消す(昇天)

聖墳墓は彼が処刑された後に葬られたエルサレムの地、彼の遺骸は見つかっていない。

ゴルゴダの丘もエルサレムにある(ゴルゴダの丘と聖墳墓の場所は一致している)。

エルサレムは彼が教えを述べ、処刑され、復活した地としてキリスト教の聖地とされる。

ちなみに応答の「イエス(Yes)」は彼の名とは関係ない、注意。

ムハンマド

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(Mohammed ibn `Abd Allāh)。

イスラム教の創始者であり、預言者(神であるアッラーからの啓示を人々に授ける)。イスラーム共同体の軍事指導者・政治家。

570年生~632年没。

メッカ(シナイ半島南西部、ジッダより更に南)で生誕。良家に生まれる。

40の頃までは普通の人と同じく職につき、結婚し、平凡な生活を送っていた。

悩みを抱いてメッカ近くのヒラー山で瞑想していた所で、大天使ジブリールから唯一神アッラーの啓示を授かる。

その後、啓示を人々に授け始めるが地元の多神教を批判したとして迫害を受けるようになる。

イスラーム共同体という、ムスリム達の集まりを組織し彼は生涯戦いの道を歩む。

60歳にしてメッカを攻め落とし支配、そこを聖地と定める。

62歳のころ、この地にて大巡礼「ハッジ」を行い、急速に体調が悪化し死亡した。

彼はメッカ北500kmのメディナにある「預言者のモスク」にその遺骸を納められた。

メディナはメッカに次ぐイスラムの聖地となる。

イエスと違い、奇跡を起こしたり復活をしたりと言う超常現象は起こしていないが、彼の軍事的行動は後のイスラム帝国の礎となる。

古代ローマ帝国以降のアラビア半島統一の偉業を成し遂げている。

彼は文を殆ど読み書きできなかったため、彼の受けた啓示は口伝で伝えられ、本にされた。

彼の肖像等は偶像崇拝の禁止により極めて少ない(無い事も無いが)。その為一般的に視覚イメージはあまり定着していない。

まぁ大体アラブ人(ターバンを被った髭を伸ばしたムスリム)と想像すれば間違いはないだろう。

また、彼の「ムハンマド」と言う名は名前としては一般的で、後世にもムハンマドと名がつく著名人は沢山出現する。

ムハンマドは猫好きであることでも有名。

モーセ

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Moses、モーゼとも読まれる。

紀元前13世紀頃の古代イスラエル(エルサレムの一帯)に生まれる。ヘブライ人。

このころはファラオとかの時代。

当時支配権を持っていたエジプト人は、ヘブライ人を奴隷として扱っていた。

彼は増え過ぎると殺されるヘブライ人を保護するため、彼らを率いて砂漠に移り住む。

しかしなおもヘブライ人への虐殺は止まず、エジプトの王ファラオに嘆願を行う。

これを拒否したファラオだが、その瞬間「十の災い」が彼の周囲に降り注ぐ。

恐れを為したファラオは彼の要求を呑み、城外に放逐する。

その後背後から軍勢を差し向け、彼と彼につき従うヘブライ人を皆殺しにしようとする。

ここで有名なモーセの奇跡が起こり、紅海が割れ彼らはアフリカ大陸からシナイ半島へ逃げることが出来た。

ちなみにその後を追ったエジプトの軍勢は閉じる海に沈んだ。

シナイ半島でヘブライ人達と苦難の旅を続けた彼は、奇跡により神の食物を出現させ彼らを励まし続ける。

やがてシナイ山に到達した彼は、そこで十戒を受け取る。

その後、約束の地を目指して旅を続けるが、到達する事叶わずに120歳という年齢で死亡。

彼が何処で無くなったか、何処に葬られたかは謎のまま。

その後は従者のヨシュアが後継者となる。

聖ジョージ

ドラゴン退治で有名なイングランドの守護聖人。

英の将軍や軍師は“By St.George,”が口癖。

バイセントジョージ、アワーメンハブスレイン ジエネミージェネラル!

ナウヒズメンウィルルーズハート!

聖ドニ

パリ、およびフランスの守護聖人。

3世紀当時、ドルイド教がはびこっていたパリでキリスト教の布教をしていたが、

そのことがドルイド僧の怒りを買い斬首刑に。

首を切り落とされてもなおその首を拾い上げて説教を続け、

最終的に力尽きた場所に歴代フランス王が埋葬されるサン・ドニ大聖堂が建てられたという、

平将門的な伝説が伝わる。

史実でも中世以降のフランス軍の鬨の声は“Montjoie Saint-Denis”(我ら喜びの聖ドニ)である。

モーンジョッサンッドニー!

ロビン・フッド

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※イメージです。

架空の人物、または複数の著名人の伝記が組み合わさったもので、「ロビン・フッド」の実在した確たる証拠はないと言われる。

ノッティンガムのシャーウッドの森に住む義賊で、13・14世紀頃からの文献に登場する。

多くはノルマンコンクエスト後の支配層ノルマン人の支配に義賊として反抗するサクソン人と書かれており、この事から最古の伝承での存命したとされる期間は11世紀末から12世紀中までと考えられる。

その後の歴史では、逆にノルマンの支配者の従者になっていたり冒険譚だったりロマンスだったりと節操がない。

ちなみに息子の頭の上のりんごを射たのはウィリアム・テル

こちらはハプスブルグ家の支配に抵抗したスイス人であり13世紀の人物。

同じく実在の人物かどうかははっきりしないが、現スイス国民にも絶大な人気。

どちらも、m2twには出てこないが…ひょっとしたら反乱軍の「ウィリアム」や「ロビン」として登場しているかも。

エル・シッド

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ブルゴス市 エル・シッドの像

中世スペイン最大の英雄。本名ロドリゴ・ディアス・デ・ビバル。

「エル・シッド」はアラビア語のサイイド(君主の意)が訛った通称。

最初カスティリャ王サンチョ2世、続いてアルフォンソ6世に仕えていたが、

類まれな軍事才能と民の絶大な人気によって

王の妬みやら臣下の讒言やらを買い追放の憂き目に遭う。

しかし追放後もその名声を求めたムーア人君主に仕え活躍。

最終的に手勢を引き連れバレンシアを攻略、

領主としてムーア人の攻撃からバレンシアを死守した。

本編でもバレンシアの領主として登場、ただし反乱軍の親玉扱い。

といっても高い指揮能力と騎士道に恵まれた、まさに英雄チックな扱いである。

バレンシアの駐屯軍とあいまって西、葡、ムーアプレイの初期の段階での攻略は困難を極める。

が、他勢力の攻略失敗で疲弊した隙を突くか、或いはプレイ開始時点で40歳なので

寿命で死ぬのを待つかで比較的簡単に手に入れることも可能。

後者の場合はシッドの騎士道効果で人口の増加具合が結構な事になる場合も...

(城塞建設が可能な程度の人口に達したり)

余談だが、他の山賊として出る反乱軍も忠誠の特性を持つ中、彼の忠誠はデフォルトで0である。

タティキオス

「帝国の指揮官の中でも一線級の海戦・陸戦能力を誇り、雄弁家でもある、高い行動力の持ち主です。」

ゲーム開始時のビザンティン皇帝アレクシウスにデフォルトで付いてくる従者。キングダムにもマヌエル帝の従者として登場する。

生没年はおろか、何処で生まれてどうして死んだかすら定かではないという人物。

彼の父親はトルコ人らしく、アレクシオスの父親に捕虜としてとらえられて以降仕えていたとか。

そのためアレクシオスとは同じ陣中で育った幼馴染でもあり、つけられた渾名が「同居人」。

ポプアップの説明の通り軍人にして優れた政治家であり、アレクシオスの下で数々の戦役に従事した。

オフリド(現マケドニア共和国)のハンガリー人部隊(バルダリオタイ)を率いてロベール・ギスカール配下のノルマン人と戦ったり、

アレクシオスの編成したアーコントポウライ軍団を率いてクマン人と戦ったりと、m2twのビザンティンユニットとは切っても切れない関係にある。

果ては第1回十字軍の先導役を務め、ニカイア包囲戦やアンティオキア攻囲戦にも参加している。

しかし十字軍側は次第にタティキオスの助言を聞かなくなり、ついには彼の暗殺計画を立てているという知らせを、タラント公ボエモンから聞き出し、

ボエモンの取り計らいで彼はアンティオキア戦の最中に離脱する。

実際はこれらの計画はすべてボエモンがアンティオキアを領有したいがための陰謀であったのだが。

宮廷でのキャリアも順風なもので、バルダリオタイ、ヴァランガー隊などの宮廷近衛隊を統括する「メガス・プリミケリオス」という官職にも登用されている。

彼の死については詳しくは知られていないが、有力な家系として子孫もやはりビザンティン皇帝に仕えていたようで、

同名の子孫がやはりマヌエル1世に仕えたことが知られている。

ビザンティン専用。出現条件は不明…

効果は将軍の指揮+2。このおかげでアレクシウス帝はデフォルトで指揮8を誇る…

隠者ペテロ

「つつましく禁欲的な姿勢に人々の人望を集めている、力ある民衆扇動家です。」

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1???生-1157没。ピエール、ペトロ、ピーター・ザ・ハーミットとも。

ユニーク従者の一人。

Peter the Hermit。フランス出身と言われる。

第一回十字軍とともに起こった民衆十字軍の指導者であり、それ自体は成功はしなかったがその後十字軍に合流。

彼の演説能力は類稀であったため、兵の士気鼓舞に多大な貢献をしたと言われる。

戦闘において指揮などは行えなかったが、敵地に交渉役として送られたりなど多いに活躍した。

十字軍から脱走しようとしたりなど、不評を立てる事もあったようだが…

カトリックであれば勢力は問わない。

5〜50ターン(1098〜1178年)の間に十字軍に参戦表明すると、25%の確率で出現

将軍の能力に信心+2、都市に駐留している時の人口増加ボーナス+1%(未実装?)。

カトリック教国においてはよく目撃されるユニーク従者であろう。

十字軍参戦⇔離脱のボタン連打で簡単に付き、十字軍脱退しても残るので、内政系の将軍に付けてしまおう。

ピエール・アベラール

「いわゆる『実在論』の思想を崩落せしめたことで有名な、偉大なる学者です。」

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1079生-1142没。フランス出身の神学者。でユニーク従者の一人。

Pierre Abélard。ペトルス・アベラルドゥスとも。

非常な博学で深い神学の知識を持つが、敵を作る事も多かった。

持論を展開し、異端認定を受けた事も。

エロイーズとの熱愛とその悲劇(激怒した父親による局部切断)は有名。

こうして彼は自らの罪を悔い、人生の後半を修道士として過ごす事になる。

修道士になった後には特に神学に深く傾倒し、やはり敵を作ることも多かったが、後の有識層に多大な影響を与えた。

フランスを使用していると、14〜31ターン(1106〜1140年)の間に毎ターン5%の確率で自然発生(野外では発生しない)。

将軍の頭数が多い程出会える確率が高い。

信心と人気が+1されるが、不衛生も+1されるため結局は信心ボーナス+1・人口増加率-0.5%。わりと空気。

ヒルデガルド・フォン・ビンゲン

「有名な神学者にして文字通りの預言者であるこの女性は、音楽の分野でも先駆者と見なされています。」

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1098生-1179没、神聖ローマ出身の女性の聖職者。ユニーク従者の一人。

Hildegard von Bingen。様々な功績により、女子修道院の長を担い、また多くの修道院建設に尽力した。

一説には預言者であったとも言われる女性。

彼女の手記に記された「神の啓示」は周りの尽力により書物「道を知れ」として出版される。

また、宗教家としてだけで無くその他にも多くの才能を発揮。

医学・薬草学に深い。修道院聖歌も作り現在でも100円ショップのクラシックCD集などで聞く事が出来る。

言語学や伝記の執筆にも能力を発揮し、中世の賢女と呼ばれる。同世代の赤髭王との親交もあった。

神聖ローマプレイ時、20〜50ターン(1118〜1179年)の間、教会以上の建設に立ち会うと33%の確率で出会える。

権威+1、信心+2、人気+3と中々のボーナス。

是非とも王や王子に付けさせよう。

ジェラール・ド・リドフォール

「テンプル騎士団の騎士団長であり、無謀なほど勇敢な攻撃を繰り返しつつも生き延びてきたことで勇名を馳せいている人物です。」

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11??生-1189没。フランドル出身の騎士。ユニーク従者の一人。

第一回十字軍に参戦、テンプル騎士団の10代目総長を務める経歴を持つ。

Gerard de Ridefort。その出自は定かではない。

時代的に第一回十字軍の登場人物と絡みが多い。サラディンと戦ったり、テンプル騎士団を任され財政運営をしたり。

高潔な人物であるとされるが、十字軍にサラディンを討つ様無茶な作戦を提案したり、自分だけのうのうと捕虜になったりと

必ずしも良い評判だけでは無い。

しかし、聖地にて戦い武勇で名を上げた人物であることは確か。

神聖ローマ・スペイン・ポルトガル以外のカトリック教国を使用時に登場。すなわちテンプル騎士団設立可能な勢力限定。

30〜52ターン(1138〜1182年)の間に十字軍に参加すると100%出現する。

指揮に+2、攻撃を仕掛けた側だと更に+2される。権威も1上がる。

ロジェ・ド・ムーランと重複して従者に付ける事が出来ない。

ペテロと並んで登場頻度が高いユニーク従者の一人。王の権威を手軽にあげられる。

アッシジのフランチェスコ

「『小さき兄弟会』の創設者であり、自然と貧しき者たちを何よりも気かけることにより生きた聖人として多くの者に慕われる人物です。」

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1182生-1226没、イタリア・アッシジ(半島中部)出身の商人の息子。後に聖人。ユニーク従者の一人。

Francis of Assisi。若い頃から裕福で、太っ腹な性格であった。

この頃イタリア諸都市は神聖ローマとの戦争の最中で、裕福であった彼は装備を整え騎乗し戦場に向かう。

が、この途上で神の声を聞きそれまでの放蕩生活から一転、清貧の人生を歩むようになる。

彼の姿勢に多くの者が感銘を受け、フランシスコ会という修道会が発足した。しかし

清貧すぎて余りに見た目が乞食の様だったため、教皇などからは少し引かれていた。

この様に行いは立派だったが、実行するには万人にはハードルが高すぎたため、後のフランシスコ会はやや

規則が緩めになっている。

ちなみに世界各地にある「サンフランシスコ」は彼の名前から。

南欧勢力(ミラノ・ヴェネチア・シチリア・スペイン・ポルトガル・教皇庁)使用時に、60〜73ターン(1198〜1224年)の間に

十字軍に参加または教会以上の建設に立ち会うと100%の確率で付くが…

何とボーナスが不衛生+2、不穏+2で人口増加率が-1.0%・治安が合計20%も低下してしまう地雷従者。

信心は2上がるが…この時期は気をつけて行動しよう。

ロジェ・ド・ムーラン

「ホスピタル騎士団の騎士団長の一人であり、戦と政治の両方に才を見せる人物です。」

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11??生-1187没。ホスピタル騎士団8代目総長。ユニークユニットの一人。

Roger de Moulins。

ヨーロッパ各地でのホスピタル騎士団修道院の建設に尽力。

また、テッサロニカ攻囲にも参戦。

テンプル騎士団とは当時火花を散らすライバル同士であった。

エルサレム王国に関しては、ギー王の戴冠の際にホスピタル騎士団の金庫を自由に使わせるよう

求められているが、これを拒否している。

ナザレ付近でのサラディンの奇襲により、胸に槍を受けて死亡した。

神聖ローマ・スペイン・ポルトガル以外のカトリック教国を使用時に登場。すなわちホスピタル騎士団設立可能な勢力限定。

さらに、ジェラール・ド・リドフォールと重複して従者に付ける事が出来ない。

45〜60ターン(1178〜1198年)の間に十字軍に参戦すると出現。

指揮+2、権威+1ボーナス。

シモン・ド・モンフォール

「君主制ではなく選出議会の採用を説いたことで知られている、非常に有能な武将です。」

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1208生-1265没。イングランド出身の貴族。ユニーク従者の一人。

Simon de Montfort。ブリタニアキャンペーンの諸侯同盟のリーダーの様な人物。

当時のイングランド君主が失政しまくりな為、国政を監視する委員会の様なものを独自に組織する。

結局国との戦争に至り、王やその配下を捕縛して大勝利。最終的には王子(エドワード一世)と戦い戦死するが…

彼の発案した制度は、後のイギリス議会として芽を出す事になる。

イングランドの為を思って戦った憂国の士である。

イングランドプレイ時、60〜100ターン(1198〜1278年)の間に勢力の指導者の権威が4以下の状態で

どの敵でも良いのでオッズ1.0以下の不利な戦いで勝利すると50%の確率で出現。

付いた将軍の忠誠は1下がるが、人気+1、騎士道と指揮には+2のかなり強力なボーナス。

治安と人口増加に貢献してくれる。騎士道系内政将軍に狙って付けさせよう。

パドヴァの聖アントニウス

「その輝かしき信心によって多くの者を魅了する説法士です。」

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1195生-1231没、ポルトガル出身の貴族の出。後に聖人。ユニーク従者の一人。

Anthony of Padua。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の意思を受け継いだといわれる。

フランチェスコの設立したフランシスコ修道会はとにかく清貧を旨としていた為、学のある有識者の構成にすら欠けていた。

知識を"持つ"ことさえ推奨されなかったのである。

ただ、元々持っていた知識を捨てる事は出来ないので、元から神学などに精通していたアントニオは

フランチェスコの亡くなったフランシスコ修道会には貴重な人材だった。

彼の働きでフランシスコ修道会は更なる発展をとげる事になる。

フランシスコ修道会は、新世界の布教活動でも主役を張った。

アッシジのフランチェスコと同様南欧勢力にのみ現れ、同等の従者ボーナスを持つ地雷ユニーク従者

ターンは69〜76(1216〜1230年)修道院以上の建設完了立ち会いで、75%の高確率で現れる。

仕様上、フランチェスコとアントニウスがダブルで付く事になる将軍も現れる…

そうなると治安マイナス合計40%ともう二度と都市には入れない。

60〜76ターン(特に二人が重複する69〜73ターン)は、神聖ローマ将軍は教会系の建設に気をつけよう

アルベルトゥス・マグヌス

「科学と信仰の調和の中で共存できると説いたことで有名な哲学者で、その説ゆえ多くの者に慕われています。」

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1193生-1280没、かなり長命。神聖ローマ・シュヴァーベン出身の貴族で、後に学者となるユニーク従者。

Albertus Magnus。ドミニコ修道会に所属し神学を学ぶ。

また彼の業績として錬金術研究もあり、「砒素」の発見を行う。

この砒素(化合物)は暗殺用の毒としてしばしば用いられ、15世紀のとある教皇は政敵を次々にこの毒で屠ったとか。

無味無色の毒だが、身体を調べれば死因が砒素である事が判り、また銀食器に反応するなどの欠点もある。

毒・暗殺に話が逸れたが、勿論彼が人殺しの道具の為に砒素を研究していたわけではなく、

その後の実験体系を残したのが彼のもう一つの大きな功績(実験方法のハウツーも研究には重要)。

その人となりも出来たもので、彼の弟子トマス・アクィナスに異端の嫌疑が掛けられた際、ケルンからパリまで徒歩で旅をし弁護に行ったのだと言う。

(トマスは先に天に召されており、彼に反論する口はなかった)

何とその距離数百km…誇張されている可能性もあるが、彼はその頃すでに80を越え、とっくに雲の上の人となっていてもおかしくはないはずである。

神聖ローマ使用時、70〜100ターン(1218〜1278年)の間に教会以上または錬金術工房以上のある拠点にとどまっていると10%の確率で巡り会える。

治安+10%ボーナスがあり、フランシスコ修道会の二人の様にデメリットは無い。運も絡むが出会えればラッキー。

ロジャー・ベーコン

「詳細な記録を伴う実験と、火薬を『発見』したことで有名なイングランドの学者です。」

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1241生-1294没、イギリス出身。ユニーク従者の一人で火薬発明の人物として紹介される。

Roger Bacon。フランシスコ修道会に所属する聖職者であるが、学者としての方が有名。

当時はフランシスコ会とドミニコ会と言う二つの修道会が戦場の外で学問の切磋琢磨を行っており

アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナスは彼のライバルでもあり良い刺激の相手だった。

ベーコンは積極的にイスラム他カトリック文化圏の外から知識を取り入れ、パリ大学で講義を受け持った。

神学・物理・数学・化学など学術一般に精通する。

その後、後に教皇となるギー・フールク(クレメンス4世)の後援を受け「大著作」をまとめる。

ちなみに良く知られた話だが、彼は黒色火薬の発見をしたのではなく、最適な調合比(硫黄や
木炭、硝酸カリウム)を研究しただけと言う事らしい。

全ての勢力大砲鍛冶以上の建設に立ち会うと、66%の確率で出会える。期間は77~107ターン(1232~1292年)。

壁への強襲時の指揮+1、銃砲部隊への指揮+2と微妙なボーナス。

ニルス・エベッセン

「母国をかけた紛争での英雄的な活躍で知られ、『暴君殺し』の異名をとる人物です。」

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1???生~1340没。ユトランド半島生まれのデーン人の英雄。ユニーク従者の一人。

Niels Ebbesen。出自は名門とも言われるが不詳、当時神聖ローマの侵食を受けていたユトランド半島において

レジスタンスを組織し戦ったデンマークの英雄

少数でラナース(オーフスの北西)の領主ゲルハルト三世の城に潜入し、凄まじい力で寝ている伯爵のベッドごと首を叩き斬ったらしい…

脱出・逃亡でも橋を落として追撃を防ぎ、殆どメンバーが欠けることなく帰還した。

またその後の時代の野戦においても「荷馬車砦」を築くことでゲルマン騎士に対抗。

この作戦は囲みを破られ、残念ながら彼は戦死してしまうのだが…

デンマーク限定で、100~130ターン(1278~1338年)の間にどこ相手でも良いので不利な戦い(オッズ1.0以下)に勝つと100%の確率で登場。

騎士道・指揮・兵の士気にそれぞれ+2。手軽に強力なボーナスが得られる。

マイスター・エックハルト

「一流の神学者・神秘主義者・哲学者であり、広く尊敬を集めていますが、その影響力の強さゆえに教会に警戒される可能性があります。」

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1260?生-1328?没。神聖ローマ帝国出身の超越した神学者でありユニーク従者。

Meister Eckhart。同年代の著名な学者達とパリ大学で切磋琢磨し、神学の担当を受け持つ。

この時代では飛び抜けた主張をした彼であり、最終的には異端認定を受けて没している。

一言で言うと「神とかそういう考えを捨てて思想信仰を無に帰した時、初めて神に接する事が出来る」と言う物。

仏教の無我の境地に近い。

と、とにかく当時の教会にとっては至極都合の悪いものだったため彼の著書・記録は殆ど処分され

後世に残る記録は僅かとなってしまった…

神聖ローマ限定で、100~124ターン(1278~1326年)の間に、大学のある拠点に滞在していると33%の確率で出会える。

この時点で大学建設済みの拠点は少ないだろうが、信心+2の他権威+1もあるので、皇帝や王子には

積極的に大学で学ばせよう。

マルコ・ポーロ

「シルクロードを伝った極東への冒険行で知られる、偉大な探検家であり、有能な商人でもある人物です。」

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1254生-1324没、ヴェネチア共和国出身の商人であり後に世界をまたにかけた冒険家。ユニーク従者の一人。

Marco Polo、東方見聞録で有名な彼。

17歳のころにヴェネチアを出発し、41歳までユーラシア大陸を一回りする旅に出発する。

大都(現在の北京)でモンゴル5代目皇帝のクビライに謁見。

一度ヴェネチアに戻り、再び中国に旅をしクビライと再会、モンゴルの政務官に取り立てられる。

17年の元での仕事の後、身の危険を感じ脱出。シンガポール-スマトラ島-セイロン島-アラビア半島と過酷な船旅を送る。

命からがら、マルコはヴェネチアに帰還する。

彼の「黄金の国ジパング」などは誤った(誇張された)伝聞であるが、東西の文化の交流に多大な貢献を果たした。

中国の方位磁石、陶磁器、インド付近での宝石の産出、中東の楽器、アジアの船、新しい地図情報(マッパ・ムンディからの脱却)などなど…

中東勢力以外限定で、102~122ターン(1282~1322年)の間首都から60マス以上離れた地域(野外でも可)で待機すると、5%の確率で出会える。

ただし自勢力のどこかの拠点に探検家ギルドが建っている事が必須。

貿易収入+10%と、将軍部隊の移動能力+15%。単騎で都市間を移動する後方支援型の将軍に付けばよいが…

運が絡む出現パターンの従者なので難しいか。

ベルトラン・デュ・ゲクラン

「フランスの誇る天才的な武将で、軍旗を掲げる主君にとって理想的な右腕となりうる人物です。」

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1320生-1380没。フランス出身の貴族・軍人で百年戦争の功績者。ユニーク従者の一人。

Bertrand du Guesclin。歴史書に記述のあるほど醜い容姿で、あだ名は「ブタ」。

しかしそのハンデのせいで人一倍兵法には熱心だったと言われる。

また自身も相当な馬上槍試合の手練れであった。

中世の騎士然としたロマンチックな一面と、傭兵の様な合理的な戦略考察を併せ持つ卓越した軍人そして騎士道の模範であった。

彼の経歴において、幾度かの敗北は有ったものの勝利した戦闘は数知れず。

百年戦争において、ナヘラの戦い、モンティエルの戦い、ポワトゥー包囲、ブルターニュ攻略など多くの戦場を駆け巡る。

彼の働きによりフランスはイングランドに奪われた失地の大部分を回復。

エドワード黒太子は彼の生涯のライバルであった。

フランス限定で、130~150ターン(1338~1378年)の間にかなり不利な戦闘(オッズ0.7以下)で勝利すると現れる。この時将軍部隊自体も敵部隊と交戦している事が必須。

指揮・兵士の士気にそれぞれ+2、更に対イングランドで指揮+2、対スペイン・ポルトガルで指揮+1を得られる。

フランス最前線の将軍に出会わせられれば、大きな戦力プラスになるだろう。

フランチェスコ・ペトラルカ

「哲学者・学者・作家として群を抜いた才能の持ち主であり、その作品は非常に大きな影響力を持つとされています。」

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1304生-1374没。アレッツォ(フィレンツェ近く)生まれの詩人・学者。

「王家に生まれるよりも、王位にのし上がる方が名誉だ。 一方を授けるのは幸運、そしてもう一方は実力によって手に入れるものである。」

Francesco Petrarca。モンペリエ大学やボローニャ大学で法学や神学を修め、20代のころには当時の教皇庁があったアヴィニョンに移住。

教会にて書記として働く傍ら執筆・読書にいそしんだ。

旅行し見聞も広め、とにかく彼の人生は知識を蓄え本を書く事に費やされた。

「ルネサンス書簡集」「無知について」「カンツォニエーレ(抒情詩集)」「我が秘密」などなど。

ミラノのヴィスコンティ家につながりが強い人文主義者。

人文主義(ペトラルカが始まりとされる)とは、「人とは何か」と言う事を追求した哲学。

特にルネサンス期には古代ローマやギリシャの知識を総合し、この考えの結論を導き出そうとした。

彼の友人ポッカチオや後世のエラスムス、マキャベリもこの一派である。

ヴェネチア・ミラノ・シチリア限定のユニーク従者。

130~150ターン(1338~1378年)に錬金術学校以上の建設完了に立ち会うと出会える。

ボーナスは信心・人気+2、不衛生+1そこまで強力ではない。

が、狙って付けやすく出会える期間も長い。

ジョン・ウィクリフ

「聖書を英語に翻訳したことで知られ、一目置かれている神学者です。」

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1320?生-1384没。イングランドの急進的な聖職者。ユニーク従者の一人。

John Wycliffe。オックスフォード大学で教鞭を執り神学を担当する。

晩年には彼独自のカトリック教義は更に過激さを増し、死後に異端認定された。

その論調としては「神の為に人は有るのではなく、人の為に神は有る」と言う当時の常識を覆すもの。

後のプロテスタント勃興につながる。

著書としては「聖体論」「聖界領主論」「俗界領主論」そして晩年の未完「反キリスト」。

彼の死の後、フス派のヤン・ジシュカらが勢いを持った。

イングランド限定で、132~152ターン(1342~1382年)の間に登場。

「教養のある男」「教養高い男」の特性がある将軍の元に10%/ターンの確率で出現する。

ボーナスは信心+2。いつの間にか現れるやや地味なユニーク従者。

イブン=ハルドゥーン

「イスラム法・経済学・そして世界史の編集者として数々の宮廷を渡り歩いた、多大な尊敬を集める学者です。」

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1332生-1406没。チュニス出身の歴史・思想家。

Ibn Khaldun。古今イスラーム世界最大の学者との評判が高い。ムハンマド・サラディンに次ぐイスラム世界の有名人。

イスラム法学・哲学・作詩などに造詣が深い。弁舌を武器にイスラム諸国果てはティムール朝にまで

出入りし、学者としてのイスラム圏での名声を不動の物とした。

当時イスラム文化の中心であったカイロやアレクサンドリアでは彼の名声が響き渡っていた。

著書の一つに『省察すべき実例の書、アラブ人、ペルシャ人、ベルベル人および彼らと同時代の偉大な支配者たちの初期と後記の歴史に関する集成』がある。

これは当時の歴史教科書の様なものであり、更にこれに独自の哲学論が加わっている。

中東勢力(モンゴル・ティムール含む)限定135~160ターン(1348~1398年)の間

ビマリスタン系または錬金術系の建造物完成立会すれば出会える。

信心・権威に+2、さらに貿易収入ボーナス+15%。

権威が大きく上がるので、ぜひとも王に狙って付かせたい。

ジョフリー・チョーサー

「作家・詩人・役人としての才能で知られたイングランド出身の多才な人物です。」

ジョフリー・チョーサー.jpg

1343?生-1400没。イングランド出身の詩人。ユニーク従者の一人。

The field hath eyen, and the wood hath ears.

(野原に眼あり、森に耳あり。)

Geoffrey Chaucer。商人の家の出の「カンタベリー物語」の著者。

詩人としての才能だけでなく、外交官としても大活躍。

軍にも従事し、兵として剣を取ることは無かったが従士の身分に取りたてられている。

イタリアのペトラルカや傭兵隊長ジョン・ホークウッドとも親交がある。

彼は中世で初めて「中英語(Middle English)」を著書に使用した人物と言われる。

中英語は、現在使われている近代英語とはまた少し異なるが、目で見て理解する分には余り問題ない。

Thanne longen folk to goon on pilgrimages. And palmeres for to seken straunge

strondes. To ferne halwes, kowthe in sondry londes.

(中英語の原文「カンタベリー物語」より。)

発音もちょっと違う。「knight」はナイトではなくクニヒトと読む(要は発音しない文字が無い)。

ちなみにこのころイングランドでは平民は古英語、貴族はフランス語(ノルマン・フランス語と言う現体系とはこれもやや違う)を使用。

イングランド限定143~160ターン(1364~1398年)の間に登場。

大学建設立会で現れる。治安+1、建設費割引10%

アーノルド・フォン・ヴィンケルリード

「戦いにおいて敵兵が無数の槍で作り出した壁を自らの肉体で切り開いたとされる、偉大なるスイスの英雄です。」

アーノルド・フォン・ウィンケルリード.jpg

生没年不明。スイスの英雄でありオーストリア・ハプスブルグ家の支配に対抗した英雄。

Arnold von Winkelried。1386年、ゼンバッハの戦いでの著名な戦士。

オーストリアの兵は槍壁を並べ、これに抗するスイスの農民部隊は攻めあぐねていた。

これを打破すべく「私の体に刺さった奴らの槍で戦え、我が同志よ農民よ、私の妻と子を頼む。」と単身突撃した指揮官が彼。

その後、実際に槍の壁に突入した彼は壁に穴を開ける事に成功、オーストリアのハプスブルグの軍隊は

雪崩れ込んだスイスの農民部隊に散々に打ち負かされた。

そして無数の槍を受けた彼はこの戦いで命を落としている。

彼についての記録は乏しく、周辺地域の村の勇士であった事位が記録されているのみで、

それも「それらしい」名無しの人物であり、ゼンバッハの戦い以外はハッキリしない。

イングランド・スコットランド・フランス・デンマーク限定

148~165ターン(1376~1408年)の間、どことでも良いのでオッズ1.0以下の不利な戦いに勝利すれば出現。

この時将軍部隊が3人以上敵を殺している事が条件。

兵の士気+2、攻撃側であれば指揮+2。将軍個人のHP+4と強力なボーナス。

時期は遅いが、野戦タイプの将軍に付けられればとても役に立つ。

ヤン・ジシュカ

「群を抜いた機転を見せる指揮官で、特に緊急時の築城術において才覚を発揮します。」

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1374生-1424没、ボヘミア(ブダペスト辺りの王国)出身の貴族、後に傭兵隊長。ユニーク従者の一人。

Jan Žižka。ジャン・ジズカとも。

産まれた時から片眼が見えず、それが長じて老境には全盲となる。

非常に軍才稀なる人物。

ボヘミアの没落貴族であったが、傭兵の腕一本でのし上がりタンネンベルクの戦いなどでポーランドに加勢し名を馳せる。

40歳の頃、カトリックの一派フス派が異端として神聖ローマから迫害にあった折、彼らの援軍として呼応。

これは彼の祖国ボヘミアが、フス派を弾圧した神聖ローマ皇帝ジギスムントに乗っ取られたため

同じ敵を持つ同志として参戦したのだと思われる。

ジシュカ自身はさほど信心のあるタイプではなかったが、フス派の信者たちは彼を強く信頼し

神聖ローマとの戦いを続けた(フス戦争)。

彼は中世ヨーロッパの戦闘においていち早く火縄銃(の前身、タンネンベルクガン)を導入したり

有名なワゴンブルク(荷馬車の砦)の円陣などを開発して大いにドイツを苦しめた。

彼の死の10年後、フス派は内部で分裂を起こして瓦解するのだが…

ポーランド限定150~172ターン(1378~1422年)の間何処とでもいいのでオッズ1.0以下の不利な戦いに勝利すると出現。

指揮+2、さらに防衛側だと+2。権威も+1され、攻城兵器の建設ポイントも+50される。

将軍一部隊で、1ターンで破城鎚が作れるようになる…がこの頃はもう大砲があるだろう。

ヴラド・ツェペシュ

「キリスト教戦線の偉大なる守護者として知られる一方で、捕えた敵の扱いの残虐非道ぶりでも悪名高い人物です。」

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1431生-1476没。トランシルヴァニア出身の貴族。

Vlad Tepes。当時は神聖ローマの辺境に属していたワラキアの領主。ヴラド=ドラクル(ヴラド竜公)、ヴラド三世とも。

同名の父親の2世は神聖ローマ帝国ドラゴン騎士団に所属。

立地上、オスマン帝国との戦いが多いが、戦に敗れて人質となっている間にワラキア領でクーデターが起こる。

ワラキアの完全支配をもくろむオスマン帝国の思惑もあり、ツェペシュは様々な支援を受け、ワラキア領主に返り咲く。

冷徹な統治により反乱分子を粛清、串刺しにして見せしめとした。

しかし、その後のオスマン帝国の隷属を拒否し再び戦争を開始。

焦土戦術、ゲリラ戦、そしてまた敵兵を串刺しにして、恐れを抱かせる事により数で不利な戦いを生き延びた。

彼の二つ名「ツェペシュ(串刺し公)」はここから来ている。

その戦の最中、オスマン帝国に加担してワラキア領を支配したとの嫌疑でハンガリーに捕えられ幽閉される。

この時絶望した彼の妻が投身自殺した事により、彼はカトリックを憎むようになりドラキュラ(吸血鬼)として生まれ変わったのだと言う。

ハンガリー捕囚以降の話はプロパガンダ・創作との見方が今では強く

むしろ当時はオスマン帝国へ抵抗した偉人としての評価が高い。

実際彼の最期は、ハンガリーに対オスマン帝国戦争を共に闘うよう説得され、戦場に出た故の戦死であるらしい。

また「ドラキュラ伯爵」はアイルランドの作家ブラム・ストーカーによる近代の著作。

ブランの城は「ドラキュラ城」とされたとか。

ハンガリー限定で、出会える期間は160~205ターン(1398~1488年)かなり長期である。

彼と同名(ヴラド=ドラクル)の父二世は1384生-1447没。ひょっとしたら二人一役かも…

拠点陥落時に「破壊」を選ぶと現れる。畏怖+3、イスラムと戦う時の指揮+3のボーナスが得られる。

ティムール勢が残っていれば助けになるかも…

ドナテッロ

「史上最高と言われる彫刻家で、その活き活きとした作品は後世にも残ると言われています。」

ドナテロ.jpg ダビデ像.jpg

1386?生-1466没。フィレンツェの毛織物職人の子として生まれる。芸術家であり彫刻が有名。ユニーク従者の一人。

Donatello。
もっとも有名なのは旧約聖書に登場する巨人ゴリアテを倒した羊飼いの少年をモチーフにした「ダヴィデ像」か(右画像)。

ブロンズで作られた中性的な肢体の少年の裸体像で、勇ましくも官能的な美を湛える。

非割礼・同性愛・半陰陽など様々な議論を引き起こす火種になった作品である。

メディチ家から多大な後援を受け、彫像制作に勤しみまた弟子も多く残したが

彼のパーソナリティーは意外に謎が多い。

絵画は描かず、ほぼ彫刻作品のみを後世に残している。

彫刻も、彫像だけでなく塑像(固まる前の土をこねくり回して造型、固めた後に手を加えたり)なども行った。

金細工やレリーフなども多数。

ルネサンス期を代表する芸術家である。

162~193ターン(1402~1464年)に出現。

ミラノ・ヴェネチア・シチリア限定芸術家のアトリエ系の完成立会で出現する。

治安が5%低下、人口増加率にも-1.5%してしまう地雷従者。

ジャンヌ・ダルク

「この天使の様な少女は、自身は神がフランスとフランスの民衆を救う為に遣わされたのだと信じています。」

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1412生-1430没。フランス出身の村娘、後にフランスの英雄。

m2twにおいてはユニーク従者として登場する。

Jeanne d'Arc。農家の村娘として産まれる。

彼女の生誕地はイングランドVSフランスの百年戦争において、戦乱に近い場所であった。

(当時はかなりイングランドがフランス領に侵攻している)

10代前半で神の声が聞こえ始め、その話が周りに認められたのは17の時。

彼女を神輿に担いだフランス軍は、パリ、ランスと攻め落とされその次に狙われているオルレアンを救出に向かう。

この戦いでジャンヌは旗持ちの役に徹し、弱気ながら兵士の士気を大いに鼓舞し続けた。

奪われた諸都市を取り戻すジャンヌ軍。しかし、その快進撃の最中イングランドに捕らえられてしまう。

イングランドの重臣・聖職者達は、フランスでは英雄視されていた彼女のカリスマを貶める為に

あの手この手で彼女を異端認定、イングランドの人民は敵として以上に彼女を恐れ憎む様になる。

異端である事の評判は味方であるはずのフランスにも蔓延し、彼女の擁護派はどんどん少なくなっていった。

そしてついに諸国の教会会議にて火刑が決定し、彼女は灰になる。

ジャンヌのフランスの中での異端の疑いは、直ぐに改められ火刑は悔やむべき事であったとの認識が直ぐに広がったが

敵対国のイングランドでは長年その汚名は消えることがなかった。

フランスを使用時、170〜180ターン(1418〜1438年)の間に、指揮4以上の将軍がイングランドとの不利な戦い(オッズ1.0以下)の戦いで勝利すると出現する。

指揮に+1、さらにイングランドと戦う時追加で指揮+2得られる。兵士の士気と将軍の信心も+2される。

性質上かなり出現の期間が短いユニーク従者。が、狙えば簡単に出会えるし戦闘において強力な支援効果を発揮してくれる。

勿論イングランドが滅んでいると出てこない…

ヨハネス・グーテンベルク

「書物を量産する新しい方法を見出し、識字率の向上と貿易の活性化を招いた発明家です。」

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1398?生-1468没。神聖ローマの金属加工職人。ユニーク従者の一人。

John Gutenberg。

商人の家に生まれ、家柄から幼いころから金属の細工に詳しく貨幣の鋳造などで生活していた。

それが長じて1450年、活版印刷所を世界で初めて運営開始した。

グーテンベルクの活版印刷は詳細には明らかにされていないが、まず型となる文字の金属部品を大量に用意。

それに低融点の合金を流し込み固め、文字のハンコを作る。

それを文章として並べ、後は印刷機にセット、インクを紙に転写する。

勿論今の輪転機や高機能プリンターと比べると低速だが、B3サイズ4枚ほどの紙の印刷物を

版の準備を除けば、印刷~インク乾燥~裁断まで1時間に240枚(1枚当たり15秒)のスピードで印刷できた。

そのクオリティも、従来の木版印刷に比べると滲みが少なく綺麗で好評だったようである。

印刷は当時、主に聖書などの写本に使われた。

それまで本は貴族のごく一部にしか、それも大概質の悪い(文字が滲んでたり、手写しの為に情報が違ったり)物しか手に入れられず

活版印刷機の発明により、やはり多少高価であったものの質の劇的に改善した書籍が

これ以降は出回る事になる。

神聖ローマ・ポーランド限定

187~210ターン(1452~1498年)の間に、印刷所系統の完成立会で出現。

なぜか史実と生没年が一致しない。

狙って出現させやすいが、人口増加率-1%・治安低下10%、貿易収入+20%と言う微妙なボーナス。

アルドゥス・マヌティウスと重複して従者に付ける事が出来ない。

アルドゥス・マヌティウス

「アルドゥス式印刷機を発明し、新興の出版産業をけん引している人物の一人です。」

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1450?生-1515没。ローマ出身のヴェネチア印刷技術者。ユニーク従者の一人。

Aldus Manutius。グーテンベルクに遅れるが、こちらも印刷のテクノロジーを開発した人物として有名。

彼の功績としては書籍の小型化の規格発明や、イタリック文字の発明がある。

現在も良く引用の表示などに使われるイタリックだが、当時は「ページの紙面節約」に

使われていた。斜体の方が文字を多く詰め込めて印刷効率が上がるのである。

無論その文字の見栄えも良くなるため、当時は斜体は大いに流行した。

彼の特許だとしてアルドゥスはイタリックの独占使用権を与えられるのだが…

模倣は絶えなかった。印刷に関わる無断の複製(いわゆる海賊版)はこの時代から姿を現す。

神聖ローマ・ポーランド限定

201~218ターン(1480~1514年)の間に、ヨハネス・グーテンベルクと全く同じ条件で登場。

この時代になると勝ちゲーになっている事もしばしばだが…

その為存在感が薄い。
さらに、ヨハネス・グーテンベルクと重複して従者に付ける事が出来ない。

ニコロ・マキャベリ

「音楽家、詩人、そして特に国家に関する哲学者として有名です。彼の言葉はしばしば冷徹な指導者に用いられます。」

ニコロ・マキャベリ .jpg

1469生-1527没。フィレンツェ出身の同国の外交官・政治思想家。

君主は、罠を見抜くには狐でなくてはならず、狼を追い散らすにはライオンでなければならない。

―ニコロ・マキャベリ「君主論」

Niccolo Machiavelli。ロード画面でも多くの著書の引用がなされる彼は、その筋の名門に生まれた。

が、当時のフィレンツェ共和国は激動の最中であり、軍の上層部として職を得ていたマキャベリは

本を書くと言うよりも、その作戦立案・指令役に謀殺されていた。

ここでの苦労の経験が後の「君主論」には多く反映されている。

傭兵は使わず自国の軍隊を用意する方が良い…君主は血筋や権威より現場での勇敢さの発揮などが重要…

寛大すぎるよりケチである方が結果としては良い…畏怖を与えるのは効果的だが一度にとどめておくべき…

などなど、m2twのプレイスタイルにも参考になる論が多々。

彼自身、失職して一家で山のへき地に移り住んだりメディチ家に拾われたりと

山あり谷ありの人生であったが、その彼の経験は著書において感ずる事が出来る。

上記のような君主指南書だけでなく、歌劇や詩歌などにも著作は多岐にわたる。

現在でも「マキャベリズム」と言った言葉が使われる事があるが、その意味する所は

「目的の為には手段を選ばない」と言う一点に矮小化されている事がしばしば。

彼の著書を読めば、そんな一言で片づけられるようなニュアンスで無い事は明白である。

ポーランド・ハンガリー以外のカトリック勢力限定

204~224ターン(1486~1526年)の間に大学がある拠点で待機すると25%の確率で巡り合える。

指揮・権威+1、人口増加率-0.5%とあるんだか無いんだか良くわからないボーナス。

ゲームの時期的にもクリア目前である事が多い為、完全なコレクション従者だろう。

バヤールの騎士

「『恐れと恥辱無き騎士』と呼ばれ、指揮官が配下にもちうる中で最も勇敢な部類に入る人物でしょう。」

バヤールの騎士.jpg

1473生-1524没、フランスのバヤール出身の騎士。

Chevalier de Bayard。
詳しい情報は手元にはないが、おそらくピエラ=テッレ(セニョール・ド・バヤール)。

フランス名門の遍歴の騎士であると思われる。

騎士道の作法を立派にこなし、歴代のフランス君主に仕え、イタリア戦争などで活躍した。

22歳の時に騎士の称号を受けており、スペインに転戦。200人からの殺到するスペインの兵を

橋に一人で陣取り撃退したと言う逸話も。

その後も騎士として、また有能な指揮官として各地で働きを見せており、彼と共に戦った

フランスのジャンダーム部隊は大いに恐れられた。

中世における最期の大物騎士であったと言われる彼は、火縄銃の銃弾に倒れる。

フランス限定

205~225ターン(1488~1528年)の間にオッズ1.0以下の不利な戦闘に勝利すると現れる(将軍部隊の直接交戦が必須)。

指揮・騎士道・信心・索敵視界それぞれに+2と言う強力なボーナス。

しかし時代が遅すぎると言う…

ヴァスコ・ダ・ガマ

「大がかりな旅に同道させるのに最適と言える、ポルトガル出身の非常に優秀な探検家です。」

ヴァスコ・ダ・ガマ.jpg

1460?生-1524没。ポルトガル出身の探検家。

Vasco de Gama。
大航海時代の先駆けとなり、喜望峰ルートを発見した人物。

新世界とは縁が無い(一応ブラジルによった事はあるようだが)。

陸路では直接到達困難なインドへの道順を開拓し、香辛料などの貿易の礎を作った。

第一回の航海の出発地はリスボン、長旅の為の物資積載用のキャラック1隻に

総勢170人が分乗するナヴィオ船(キャラックの半分程度の大きさの船)を3隻用意。

途中壊血病に苦しみ、また水の補給などで上陸した際に現地民との争いが起こったりしながら

一行は約10カ月かけてインド半島南端に到着。そこでもひと悶着あったのだが、2月の後に離脱し、1年ほどかけてリスボンに帰還した。

途中加えた奴隷などを除くと、帰還時の生存者は55名。争いや脱走、壊血病などでの脱落が主である。

インド、またその途上で得られた物資はわずかであったが、その航路の発見は何よりも貴重な物として称えられた。

その後、幾度かの航海の最中病を得て死す。彼の子孫もまた船乗りとして活躍した。

勢力は問わない。

205~225ターン(1488~1528年)の間に、首都からの距離40マス以上(野外可能)にいると33%の確率で出現(勢力がどこかに探検家ギルド以上を保持している必要あり)。

貿易収入+10%、将軍部隊の移動距離+15%と微妙なボーナス…

アメリゴ・ヴェスプッチ

「冒険家および商品として素晴らしい業績をあげており、新天地や新たな通商路に関連した旅では重宝されるであろう人物です。」

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1454生-1512没。フィレンツェ出身の探検家。

Amerigo Vespucci。

メディチ家とつながりを持つ商人の家に生まれ、ポルトガルの大西洋横断航海に請われて参加する。

この時期は大西洋以西にはどんな大陸があるか、果たしてそれは大陸なのか島なのか

その辺りの情報すらなかったので、陸地を発見しても「○○は××が最初に発見した」と言う

定義が非常に難しく、コロコロ変わった。

基本的に商業権や命名権は早い者勝ちなのだが、商業権は頼りに出来る証拠とかがあれば、後で申し立てを行えば覆されろ事もしばしば。

しかし人々の間に定着した地名は中々に修正するのが難しい。

コロンブスが実はアメリカに先に到達していたが、かれらはそこを「東アジア」と思い込み様々な地名を付けた。

しかしアメリゴはその後に「東アジアではない別の大陸」と認識し、新大陸に上陸。

ここを自身の名に由来する「America」とすることを触れ回った。

彼のPR能力により新世界はアメリカと言う名が定着。しかし彼が「最初に発見」したものは何もない。

だが、探検家としての能力や、航路の開拓、現地の情報などは大いに評価された。

勢力の限定なし。

208~225ターン(1494~1528年)の間に探検家ギルドの設立またはグレードアップに立ち会いで現れる。

ヴァスコ・ダ・ガマのボーナスに加え、索敵視野の拡大+1。

時期も遅く、運が絡む出現なのでコレクション従者に相当するだろう。

ミケランジェロ

「彫刻家・画家・詩人・建築家の兼ねる、総合芸術の大家です。彼の作品の影響力は本人自身より遥かに長くこの世に残る事でしょう。」

ミケランジェロ.jpg ダヴィデ像(ミケランジェロ).jpg~

1475生-1564没。フィレンツェ出身の芸術家。ユニーク従者の一人。

Michaelangelo。彼は彫刻を主とし油彩画・フレスコ画・建築・作詩など様々な才能を発揮。

ダヴィデ像(上記画像)」「システィーナ礼拝堂天井画」「サン・ピエトロ大聖堂」などが代表作品。

やはり彼もメディチ家の後援により、芸術家として才を開花させた人物。

しかし決して産まれは裕福で無く、父親の事業の失敗などから幼いころから石工の手伝いなどしていた。

これが彼の彫刻の道を歩むきっかけにもなる。

フィレンツェでの生活も波瀾万丈では有ったが、10代の前半からその才能を見込まれていた彼は

それを頼りに出世、腕に磨きをかけて行く。

30の頃に時の教皇ユリウス2世にシスティーナ礼拝堂の天井にフレスコ画を描く仕事を賜る。

そしてこの後の教皇レオ10世がメディチ家の人物だった事により(すぐに逝去してしまうが)、ミケランジェロは強い後ろ盾を得る事になる。

彼の人となりとしては質素・偏屈・頑固。交友する人を選び、芸術には(特に彫刻)並々ならぬ執着を見せる

典型的な芸術家タイプであり、これが後の「芸術家」の典型になったと思われる。

ヴェネチア・ミラノ・シチリア限定。

209~242ターン(1496~1562年)の間に芸術家のアトリエ系の建設立会で出現する。

治安-5%、人口増加率-1.5%。デメリットであるが、人口多すぎの都市の体質改善には良いかもしれない。

仕様上、ラファエロと重複して従者に付ける事が出来ない。

ラファエロ

「繊細さの垣間見える優美で素晴らしい作品を数多く書いている画家です。」

ラファエロ.jpg 聖母子.jpg~

1483生-1520没。ウルビーノ公国(フィレンツェの東)出身の芸術家。ユニーク従者の一人。

Raphael。ルネサンスを代表する画家のひとりである。

比較的裕福な出で、幼少のころからやはり芸術才能を発揮。後援を受けた事もあるが

自身の世渡り能力も優れていたため、教皇庁お付きの芸術・建築家となる。

その生活もミケランジェロとは違い豪奢で女好き、若くして無くなったのはこれが原因だとも言われるが…

代表作品に「聖母子(上記画像)」「システィーナの聖母」「サン・ピエトロ大聖堂(建築)」など。

ちなみにミケランジェロとの絡みであるが、彼はラファエロを「技法をパクられた」として嫌っていたらしい。

同時代の巨匠レオナルドは、何故か従者として出てこない…

某ヒーローでつながりのあるドナテロは、ちょっと時代が早い為にあまり上記の3人とは比較されない。

素人が評価するのはおこがましいが、ラファエロはミケランジェロのように尖った所はない

比較的万人受けし易いタイプの芸術の天才であったと思われる。

210~220ターン(1498~1518年)の間である以外は、勢力・出現条件・ボーナスともに同じ。

仕様上、ミケランジェロと重複して従者に付ける事が出来ない。

パラケルスス

「広く旅をした錬金術師・医師であり、一部では異端視されていますが、傷の治療では驚異的な腕間を発揮する人物です。」

パラケルスス.jpg

1493?生-1541没。スイスの医師・錬金術師。ユニーク従者の一人。

Paracelsus。医師の家に生まれた彼には錬金術に纏わる話が多い。

28歳の頃、医学界の争いに嫌気がさし放浪の旅を始める。この頃に亜鉛元素を発見。

顔料や合金、後に鍍金原料や電池として重要になる元素である。

これ以外にも様々な業績があるが割愛。

手に持つアゾット剣には賢者の石が含まれているとされた。

一飯一宿の恩にこの剣の柄から出した粉を炭に振りかけて金にしたとか、病人を全快させたとか

この剣には様々な逸話があり、賢者の石と思われる物も粉だったり液体だったり。

またホムンクルスを錬成して連れ歩いていたとか言う話も。

精霊や四大元素についても研究しており、正に中世後期の錬金術学の代表者。

現代ではロマンティックなそれらの研究が題材にされたファンタジーも多い。

勢力に制限なし

210~225ターン(1498~1528年)の間に信心5以下の将軍が戦闘で5人以上殺し

HPが半分以上削られていると25%の確率で現れる

ボーナスは将軍のHP+4、兵士の負傷からの回復確率増加だが…

条件がキツい上に晩期過ぎて中々出あう事もないだろう。

ヨハン・ファウスト

「多くの冒涜的な魔術を研究しているとも噂される錬金術士です。」

ヨハン・ファウスト.jpg

1480?生-1540?没。神聖ローマ帝国の占星術・錬金術研究家。ユニーク従者の一人。

Johannes Faustus。実名はゲオルグ・ファウストである。

この名前は後世の彼の伝記で勝手に変えられた名前。その本の中で彼は

悪魔術を使う魂を売った博士として書かれているため、名誉棄損の訴えを回避する為に

作者が敢えて別名を使ったのだろうか。

ともかく、彼については謎が多い為この様な創作が流行ったのだと考えられる。

行っていた研究も、占星術錬金術などそれっぽい物ばかり。

しかし、彼の著書に「悪魔術」などの話は出てこない。

彼は放浪の末ドイツの男爵に雇われた研究所にて、謎の爆死を遂げた。

イングランド・フランス・神聖ローマ・スコットランド・デンマーク限定

210~230ターン(1498~1538年)の間に、巨大聖堂が無く錬金術工房以上がある拠点で待機すると出現

畏怖+2、信心-2、将軍のHP+4、子供を授かる機会の増加と強力なボーナス。

やはり悪魔術の使い手として設定されている…

マルティン・ルター

「先見的思想を持つとされている神学者ですが、時に教会にとっては先鋭的すぎるきらいもあるようです。」

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1483生-1546没。神聖ローマ出身の神学者。ユニーク従者の一人。

Martin Luther。宗教改革の立役者。

その出自は貧しい村の鉱山技師の息子。

父親のスパルタ教育で大学にまで進み、エリートとなるが突然修道士の道に入る。

当時蔓延していた「免罪符(贖宥状:天国へ行く為の切符、有料)」に反論を唱え、賛同者ともども破門される。

彼の教義は一旦聖書の文言通りに戻り、そこから規則をやや緩やかにした(聖職者の結婚など)物である。

彼が居なくなった後、教会がガタガタになっていた神聖ローマは荒れに荒れ、それを見かねたルターは

神聖ローマの地に舞い戻りこれを収束させようと尽力した。

騒ぎは収束したものの、神聖ローマは「ルター派」「カトリック派(反ルター派)」で分裂した。

カトリック派はルター派を「プロテスタント(抗議者)」と呼んだ。

カトリックであれば勢力は問わない

210~233ターン(1498~1544年)の間に、信心4以下の将軍が修道院以上のある拠点で待機すると15%の確率で出現

信心+2、治安+10%のボーナス。中世後期のユニーク従者はいずれも地味…


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Last-modified: 2013-09-25 (水) 17:13:27 (2215d)